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ルツ記 2章4~9節 [旧約聖書 ルツ記 ]

<あの人は、・・・モアブの娘です。『刈り入れをする人達の後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください』と願い出て、朝から今までずっと立ち通しで働いておりましたが、いま、小屋で一息入れているところです。」(6.7節)>

「ボアズ自身は町中に住み、畑の管理や農夫の監督は召使に任せていました。しかし、時に畑の見回りに来ることもあり、特にこの時期は、大麦の刈り入れが始まったばかりでしたから、気になったのでしょう。」と三輪牧師は書き出される。

ルツは何も知らずに行ったところが、「たまたま」ボアズの畑だった。2章のカギとなる言葉はこの「たまたま(図らずも)」という言葉だと解説されている。彼女が意図して行ったのではなく、主が彼女をそこに導いて下さったのだと。

彼女のように、神との人格的関係、個人的な関係を第一とするとき、神は同じように個々の生活に人格的に関わられる。漫然と生きている人には、漠然としか神のことが分からないが、自分の心を神に広げれば広げるだけ、神はその報いとしてご自身を現わしてくださるのだと。

ベツレヘムからやって来て、畑の見回りをするボアズは農夫たちに「主があなたたちと共におられるように。」と言い、彼らは「主があなたを祝福して下さいますように」と応える。雇い主が主にあって祝福し、雇われ人が主にあって雇用者を祝福する。応答を通して、暖かい労働環境を感じる。

ボアズは働く人々の中に初めて見る女性が交じっているのを見て、召使に誰の娘かと尋ねた。召使は、彼女がナオミの亡くなった息子の嫁であることを告げ、彼女が朝から今までずっと立ち通しで働き、今やっと小屋で休息をしていますと答えた。

ボアズはルツに「わたしの娘よ、よく聞きなさい」と声をかけた。その一つは安全について、若い女性が凌辱されることは日常の出来事であったので、他所の畑に行かないようにと注意し、若いものには邪魔をしないように命じると言った。そして次に喉が乾いたら、若者が汲んだ水を飲むようにと言った。水を汲み上げるには力が必要だったからである。

ルツ記にはモデルがあったらしい。「有能な妻を見出すのは誰か。真珠よりはるかに貴い妻を。…力と気品をまとい、未来に微笑みかける。口を開いて知恵の言葉を語り、慈しみの教えをその舌にのせる。息子らは立って彼女を幸いな人と呼び、夫は彼女をたたえて言う。『有能な女は多いが、あなたはなおその全てにまさる』と。(箴言31章)」

そして「あでやかさは欺き、美しさは空しい。主を畏れる女こそたたえられる。」が続く。なのに、なぜかこの物語を説いたり、耳を傾ける者は「きれいな女性」をイメージしてしまう。

日曜日はお近くの教会で礼拝を http://komatsu.church/index2.htmlどなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。