So-net無料ブログ作成

マタイによる福音書 6章16~18節 [新約聖書 マタイによる福音書]

<「それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。」 (18節)>

「神に対してする信仰の行為が、いつのまにか人の目を意識し、人の評価を得たいと思うようになると、主イエスが指摘した三つ目は断食です。」と渡部牧師は書き出される。

主イエスは施しと祈りにおいて混じりけのない誠実な心を求められたが、同じことを断食においても求められた。断食はユダヤ人にとって懺悔、悔い改め、悲嘆を表すもので、年に一回定められた日があり、主イエスの時代にはファリサイ人は週に二回行っていた。

モーセが律法を神から頂くためにシナイ山に登ったと伝えられた木曜日と、シナイ山から下りてきたといわれる月曜日に、断食を行っていた。

「わたしが石の板、即ち主があなたたちと結ばれた契約の板を受け取るため山に登ったとき、わたしは四十日四十夜、山にとどまり、パンも食べず、水も飲まなかった。(申命記9章)」とモーセは語っている。

「さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。(マタイ書4章)」主イエスも宣教を開始するにあたり、四十日間の断食をなされている。

使徒言行録27章に記される「断食日」は、太陽暦の10月ごろで、大祭司はこの日に至聖所に入り、全国民が罪の懺悔のために断食をするという定めがあった。罪を悔やむ行為としては、断食のほかに、粗布をまとったり、頭に灰をかぶったりした。

ファリサイ人たちは厳しく週に二回ある断食を守っていた。すべての戒めを守ろうとする彼らは、女性を見ないために、常に下ばかり向いて歩いて、木にぶつかり、額から血を流すこともあったと解説書は記している。

主イエスはその彼らの心の内がどうなっていたのかと指摘される。「人に見てもらおうと」いかにも断食していることが分かるように「沈んだ顔つき」をする。人の誉れを求め、断食で空腹であることを示そうとする彼らのように偽善者であってはならないといわれた。

主イエスは「あなたは断食する時、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。」神に向かって心を集中させよと言われる。

「隠れたところにおられるあなたの父が見ておられる。」、それはどんな時も私たちの慰めであり、力であり、支えであります。それで十分ではないでしょうかと渡部牧師は結ばれる。

断食はしたことがないけれど、誰かに評価されたい、分かってもらいたいと、人の目を意識してばかりで、自分はまだ偽善者から抜け出すことができない。

日曜日はお近くの教会でhttp://komatsu.church/index2.html礼拝を、どなたでもどうぞ、お待ちしています。


共通テーマ: