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マタイによる福音書 6章19~21節 [新約聖書 マタイによる福音書]

<「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」 (21節)>

「6章前半で主イエスは、施し、祈り、断食を『見てもらおうとして、人の前で善行をしないように(1節)』と言われました。人の前での善行が評価を受ける、それは地上に富を積むことだといわれるのです。」と渡部牧師は書き出される。

人は神によって必要なすべてのものを備えられつつ生きているが、悲しいことに目に見えるこれらのものに目を奪われ、神を忘れている。

「神はご自分にかたどって人を創造された。(創世記1章)」そして、「神は彼らを祝福して言われた。『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。…見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。…』人は他の被造物を治めるものとされた。

「ところが、人は物に魂さえも奪われ、物の奴隷と成り下がっている。」と解説書は説き、物を人の主人とし、神を忘れる人間の生き方は、いつの時代にもあった。主イエスはそこで、弟子たちに対して「地上に宝を蓄えてはならない」と教えられているのだと続ける。

今目にしている物、それは金銭的な物だけではなく、例えば美貌、体力、名声など、いつまでも残るものではない。けれども、人々はこれらのものを保存するために心を砕き、不安を抱き、そのために人を憎むに至る時もある。その結果、彼の魂が滅び去ってしまう。

「天に富を蓄えなさい」というのは、地上の宝を天の銀行に蓄えるのではない。神によって与えられる、信仰、望み、愛、忍耐を蓄えることが命じられる。Ⅰコリント書13章では「いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである」と記されている。

「富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」という言葉は痛く突き刺さる。渡部牧師は「私たちの生き方は、地上のことに終始してはいないか、天上を見上げながら、神の御国のなるために、ささげ、祈り、霊的な訓練のために、どれだけの思いを注いでいるのかと問われます。」と説かれている。

福岡県で世界遺産の認定を受けた時の報道で、神主さんの喜ぶ姿があった。でも、あの遺産を保存していくのには、これからさらに多くの人の力がいるだろう。信仰が建物によって守られる形になるのでは…と他人ごとながら気になった。

私たちの教会の会堂も建て直して15年、そこここに痛みが出てきて修理のための積立金をしなければならないが、教会員の高齢化で献金も厳しくなり、ついには牧師の謝儀の減額案も出されるようになった。教会が教会であり続ける宝を見失わないようにしたい。

予算の段階で様々な声が起こり、討議は長引くが、段々とまとまって行く。そういう時、神の導きの中に置かれていたのだと、教会のみんなが知る。

日曜日はお近くの教会でhttp://komatsu.church/index2.html礼拝を、どなたでもどうぞ、お待ちしています。


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