So-net無料ブログ作成

コヘレトの言葉 3章1~8節 [旧約聖書 コヘレトの言葉 ]

<何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。(1節)>

「時とは神によって定められるものです。すべてのことは神のご計画の中にあると言ってよいでしょう。そう言われるとやる気をなくすという人もあるかもしれません。人が何をしても結局すべてを決めるのは神なのだとすれば、人の行うことや考えることに何の意味があるのだろうかと思えるからです。」と藤田牧師は説かれる。

2節の「生まれる時、死ぬ時、植える時、植えたものを抜く時」すべては神のご計画の中にあるという聖句は有名だ。自身を顧みて、この世に生を受け、喜び悲しみ、成功に挫折、様々な経験をし、年老いた今、死を前にして、その時々決定的な時があった。

時の中には自分で決定したように思えた時もあったかもしれないが、多くの時は自分の意志を超えたところで決定したように思う。時を支配しているのは自分自身ではなく、別の存在、神と呼ぶお方によって生かされてきたのではないかと気づかざるを得ない。

コヘレトは人間の様々な行動を一対の句にして並べ、この世で起こるそれぞれに時があり、生まれる時、死ぬ時を人は選ぶことができないと嘆く。同様に神に従う者も、逆らう者も等しく生と死に支配されているのだと。

そして、殺す、癒す、破壊する、建てる時と、その理由は全く述べられていないけれどすべて神が与えられる時があるのだと説いた。8月は先の戦争のことが度々TVに流される。破壊された町、逃げ惑う人々が映像技術の発展からよりリアルに伝えられるようになった。コヘレトの時代の戦い、その惨状、嘆き悲しみは、どのようなものであったのだろうか。

ソロモンの父ダビデは川岸で石を集め、石投げ紐と石一つで敵の勇者ゴリアトを倒した。
武器は石であった。石を放つ者、その石を集める者、武器を用意するのにも時があった。

敵意を捨てる時、敵意を抱く時、それを求める時、失う時、保存する時、捨てる時。衣をさいて喪に服す時、喪が明けて裂いた布を縫う時。沈黙を保つ時、それを解いて語る時。愛する時、憎む時。戦いの時も神のご計画の中だと説いた。

「神がそこまで私たちに関わり、すべての責任を負っていて下さるということは慰め深いことではないでしょうか。私たちには理解できないこともたくさん起こるこの世です。その中で、安心して委ねることのできる相手を持っているということは幸いなことだと思います。」と藤田牧師は結ばれる。

昨日は礼拝後、在日大韓教会のK牧師のお話を聞いた。戦中に礼拝前の「国民儀礼」を強制された私たち日本の教会は、それに「否」とは言えず従った。けれども、韓国の在日教会は「それでは教会を閉じます」と答えて、実際に教会を閉鎖された。そして、教会員の家を転々として、いわゆる「地下に潜って」日曜日ごとの礼拝を守られていた。

時の政府に合わせた柔軟な信仰に比べて、神に従った柔軟な信仰が持たれていたことに、驚くと同時に、学んだことが多かった。

日曜日はお近くの教会で礼拝を http://komatsu.church/index2.htmlどなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。


共通テーマ: