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コヘレトの言葉 3章9~13節 [旧約聖書 コヘレトの言葉 ]

<神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは赦されていない。(10節)>

「神のなさることが時に適っているということは私たちにとっては『信じているけれど、いつでも納得してその通りと言い表せる』ことではないように思います。すべてのことの背後に神がいらっしゃり、御手の内に納めていらっしゃると私たちは信じます。ですが、心からその通りとは言えないことを経験することがあります。」と藤田牧師は書き出される。

神は人間に「永遠を思う心」を与えられた。しかし、人がわかるのは過去と現在だけである。過去と現在とから将来を計るけれど、実際は何もわからない。だから、過去や現在に辛い苦しい思いをしている最中は、何のためにこうなるのかを気付くのはむつかしい。

だから「わたしは知った。人間にとって最も幸福なのは、喜び楽しんで一生を送ることだ、と。(12節)」神がその時、その実を与えて下さるのだから、今を精一杯生きることなのだとコヘレトはいう。

「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。(マタイ書6章)」と、主イエスは山上の説教で話された。

「人誰もが飲み食いし、その労苦によって満足するのは、神の賜物だ、と。(13節)」コヘレトは幸福とは何かを知った。平凡な喜びと楽しみ、労苦をねぎらう飲食のそれらが神の賜物であると。今ある自分がそのまま神のものであるということを知ることが賜物だと。

「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」と口語訳聖書は訳されている。その「時」は、ギリシャ語の「カイロス(神が定めた時)」だと解説書は記し、当たり前の時間の流れ(クロノス)の中に、突然に神の時(カイロス)が突入する。のだと記している。

「ヨハネが捕らえられた時、イエスはガリラヤへ行き、神の国の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた。(マルコ書1章)」と、主イエスがいわれた時の「時」はこのカイロスである。

「試みの中におかれる時、私たちにわかるのはただ『つらい』ということだけです。でも、だからこそ信じていることが必要なのでしょう。それを支えとして試みを乗り越えることができた時、振り返ってみると、きっと『神のなされることは皆その時にかなって美しい。』と言えるようになるはずです。神が共にいて下さるから、きっとそうなるのです。」と藤田牧師は結ばれる。

「罪と罰」の主人公が、家族の生活のために娼婦となったソーニャに「お前をこんな悲惨な状態におく神を、なぜお前は信じることができるのだ」と問い詰めるシーンがある。彼女は「だから、わたしは神を信じているのです」と答え、とても感動した。

だれでも信じたからといって、その状態が人の目で見て改善してゆくわけではない。しかし、確かな救い、賜物は与えられる。

日曜日はお近くの教会で礼拝を http://komatsu.church/index2.htmlどなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。


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