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コヘレトの言葉 3章14~15節 [旧約聖書 コヘレトの言葉 ]

<わたしは知った。すべて神の業は永遠に不変であり、付け加えることも除くことも許されない、と。神は人間が神を畏れ敬うように定められた。(14節)>

「主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。(箴言1章)」

「箴言もコヘレトも神を畏れることについて語ります。神がお決めになったことについて、人は口を差し挟むことは出来ません。たとえそれが自分の意に沿わないことであったとしても従う以外にありません。そのことを考えながら、人間は神を畏れ敬うように定められているのだと、コヘレトは言うのです。」と藤田牧師は書き出される。

ご主人を亡くされて、友人の勧めで礼拝に来るようになったTさんは、ご長男夫婦から、仏壇はどんなふうになるのか尋ねられ、自分が教会に来るのは間違っているのじゃないかと思うようになったと話された。

教会にはそういう人が多くいる。家族の行事ごとに、それぞれの家で問題が起こり、適当に相手に合わせる者、絶対に参加しない者、教会に来なくなった者がいる。Uさんは身内でも絶対にお線香をあげないと言った。

自分は父が80歳の感謝のご祈祷を頂きたいのでと、馴染みの神社に子供たちを招んだことがある。神殿に上がり兄妹にならって言われた通りに頭を下げた。その帰途に家人から、クリスチャンなのにあんなことは赦されているのかと言われ、長男夫婦からも「孫のお宮参りや七五三の時は反対したではないか」と言われてしまった。

自分の心は、父なる神以外のものを神とすることはないと確信している。しかし、自分の目に見える行いによって、それを見た人が「いい加減な信仰」と判断していた。だから、頭が痛くなる。しかし、ほんとに自分の信仰は揺るぎの無いものだろうか、人を意識したり、相手に合わせようとする姿勢は「揺るぎ無い信仰」とは程遠いと思わざるを得ない。

私たちの教会では「十戒」が礼拝の中で唱えられている。「それは単に教会の中で、教会員に対して宣言されているのではなく、全世界に向けて、国家為政者に向けても宣言されているのです。彼らが神ならざるものを神とするのは間違いです。彼らに真の神を神としなければならないという命令、要求が、神からなされていることを私たちは彼らに伝えなければならないのです。」とS牧師は話された。

「たった1%のクリスチャンの要求が聞き届けられるのでしょうか」とTさんが質問した。結果が問題ではない、継続して私たちが証し、祈り続けていくことだと答えられた。神社での私を逐一観察していたノンクリスチャンがいたように、誰かがこの混乱する世に生きる中での教会の行動を見ているのだ。

隣人を愛することが自分にとって大事だと思っているが、それは相手に調子を合わせることではないと自戒しなければならない。

日曜日はお近くの教会で礼拝を http://komatsu.church/index2.htmlどなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。


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