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コリントの信徒への手紙1 16章19~24節 [新約聖書 コリントの信徒への手紙1]

<主を愛さない者は、神から見捨てられるがいい。マラナ・タ。主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように。わたしの愛が、キリスト・イエスにおいてあなたがた一同とともにあるように。(22.23.24節)>

「19節からは様々な人々に向かって挨拶がなされます。22節は呪いの言葉を含む厳しいものです。それは、主を愛さない者たちへの言葉でした。パウロはこの言葉を、集会を乱し信仰を動揺させる全ての者にぶつけ、警告しようとしたのです。すべての問題が解決され、救いが完成されるキリストの再臨の時を、すべての兄弟は心待ちにしていたのです。」と河野牧師は書き出される。

弟子たちの口述筆記によって筆を進めてきたパウロが、最後に自分で筆を取って書いた言葉が22~24節である。ガラテヤ書には「私自身、こんなに大きい字であなたがたに書いている…(6章)」という記事があるところから、一説ではパウロは目が悪かったのではないかと言われている。

パウロ自身が記した22~24節を、解説書にそって読み解く。まず、「見捨てられるがよい」は「呪われよ(アナテマ)」とも訳されているが、ユダヤ人がしばしば使う語句で、その言葉の意味は、文字通り強い意味の場合と、一方では消極的な、反語のような使い方で用いられる場合とがある。

ここで「見捨てられるがよい」と記したパウロの本意は、見捨てることに力点があるのではなく、「力を尽くして主を愛そうではないか」という意味で、逆説的に書かれたものだと理解し、私たちに対するパウロの勧めと励ましだと受け取りたい。

「マラナ・タ」は、当時のユダヤの通俗語であったアラム語であり、意味は「主よ、来てください。」である。2世紀頃、聖餐式の中で「マラナ・タ」を唱えるようにと勧める文書がある。文書以前から、教会の中で皆がそろって唱える言葉として残され、重んじられてきたと思われる。

「神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現わしてくださいました。しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、ご一緒に食事をした私たちに対してです。(使徒言行録10章)」

聖餐式は、復活のキリストに出会った弟子たちが主と食卓を共にしたということを、その礼典の中に覚えるものである。これは弟子たちの証言に基づくものであり、聖餐式ではこの事実を信仰によって受け取り、主が弟子たちに顕現されたことを踏まえて「マラナ・タ」と唱えるのである。

「以上すべてを証しする方が、言われる。『然り、わたしはすぐに来る』アーメン。主イエスよ、来てください。主イエスの恵みが、全ての者と共にあるように。(ヨハネの黙示録22章)」

これは新約聖書の最後の御言葉である。聖餐式の中でイエス・キリストが再び来られて、その救いを完成させて下さる日が一日も早く来るようにと願って「マラナ・タ」と唱えるのである。聖餐式は主の来臨の時まで続けられる。主の体につながる者たちが、この言葉を覚えて聖餐に与る時、主はそこにおられるのである。

「この手紙を通して、信仰生活を振り返り教えられた。信仰生活は絶えざる前進の生活であるが、そこには誤りもあり、歪みが生じることもある。それらは常に糺されていくのであるが、それは人間的な感情による叱責や畏怖によってではなく、イエス・キリストにある愛によってであることを覚えたい。」と「コリント前書講解説教」の著者、松本廣牧師はその最後を結ばれている。

聖書を読み解くのは正直いつも四苦八苦、今回も松本牧師の助けを借りてⅠコリント書と何とか少し親しくなった。感謝です。

日曜日はお近くの教会で礼拝を http://komatsu.church/index2.htmlどなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。


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コリントの信徒への手紙1 16章15~18節 [新約聖書 コリントの信徒への手紙1]

<兄弟たち、お願いします。あなたがたも知っているように、ステファナの一家は、アカイア州の初穂で、聖なる者たちに対して労を惜しまず世話をしてくれました。どうか、あなたがたもこの人達や、彼らと一緒に働き、労苦してきたすべての人々に従って下さい。(15.16節)>


「具体的に人名を出して挨拶の言葉が続きます。ステファノとフォルトナト、アカイコのおそらくこの三人がコリントの教会からパウロあての質問状をもってやってきたと思われます。」と河野牧師は書き出される。

パウロはこの手紙をエフェソで書いたとされている。エフェソの教会はアキラとプリスカ夫婦の家の教会であった。教会に今日のような礼拝のための会堂が造られたのは、3世紀頃からのことで、それまでは信徒がその家庭を開放して集会を営むかたちであった。

パウロがアキラとプリスカに出会ったのは、コリントの町だった。パウロは二人の家を本拠地にして伝道したようである。夫アキラはトルコ北方地域に生まれたユダヤ人であった。妻プリスカは、ローマの町の墳墓の中に、プリスカという貴族の名があるところからローマ人であったと考えられる。貴族のローマ人が、天幕造りのユダヤ人アキラと結婚し、最初はローマに住んでいた。

彼らは、クラウディウス皇帝の「ユダヤ人追放令」によってローマからコリントに移り住んだ。それは70年、ユダヤ人キリスト教徒を巡ってユダヤ人が起こした騒動が、ローマ帝国への暴動となり、神殿が破壊されるに至ってしまったからであった。

彼らはローマを去り、コリントの町で天幕造りをしていた。そこに、同じ天幕造りを業としながら福音を伝えるパウロが、アテネからやって来た。彼らは、コリントでパウロの開拓伝道を助けただけでなく、パウロが伝道旅行を終えて、本拠地アンティオケに帰る時同行し、途中エフェソの町に立ち寄った時、その町に残りエフェソで福音のために仕える者となった。

ローマ人貴族のお嬢様が、天幕造りのユダヤ人と結婚しただけでも大変なことなのに、故郷を追われ知らない土地に住み・・・と思うと、信仰の深さにただただ感心するばかりだ。ローマ書にはパウロの感謝の言葉が記される。

「キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている、プリスカとアキラによろしく。命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに、わたしだけでなく、異邦人の全ての教会が感謝しています。また、彼らの家に集まる教会の人々にもよろしく伝えて下さい。(16章)」

「命がけで…」とされているが、以前の聖書は「自分の首さえ差し出してくれた…」と訳されている。エフェソはアジア地方の中心都市であった。獣と戦うに匹敵する危機が何度もあった中、彼らはパウロの命を守るべく、自分の首を差し出して救出しようとしたとパウロは証言している。

「首を差し出す」という言葉は具体的で思わず「ギロチン(この時代にはまだなかったが)」を思い出し、ぞっとした。ある神学者は、へブライ人への手紙はこの教養高いプリスカによって書かれたものだと主張している。

教会は神を信じ、従う多くの人々によって続いていく。アキラやプリスカのような人々は、今も教会に与えられている。

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コリントの信徒への手紙1 16章13~14節 [新約聖書 コリントの信徒への手紙1]

<目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強く生きなさい。何事も愛をもって行いなさい。(13.14節)>

「目を覚ましていなさい」という勧告は、主イエスが弟子のぺトロたちに「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい」と何度も諭されたことが思い起こされる。パウロは更に「信仰に立って」と忍耐を促し、「雄々しく強く生きなさい」とコリントの信徒たちを励ます。

パウロはエルサレム教会に献金を届けるにあたって「わたしも行く方が良ければ…」と語っているが、実際、パウロは同行してエルサレムに上ることになる。それは、命をかけてのことだった。

「わたしは“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、なにもわかりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げて下さっています。しかし、自分の道を走りとおし、また、主イエスから頂いた、神の恵みの福音を力強く証するという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。(使徒言行録20章)」

パウロはエルサレムに向かう旅の途上で、エフェソの教会の長老たちを港に呼び、エルサレムに行くにあたっての決意を語り、訣別の辞を述べている。「人々は皆激しく泣き、パウロの首を抱いて接吻した。特に、自分の顔をもう二度と見ることはあるまいとパウロが言ったので、非常に悲しんだ。人々はパウロを船まで見送りに行った。」と使徒言行録は続く。

パウロの異邦人伝道にとって、最大の妨害者はユダヤ人たちであった。彼らの信仰の本拠地であるエルサレムに上ることは、敵対する者たちのただ中に、その身を投ずることであった。事実、エルサレムでこの献金を届けた結果、彼は暴動に巻き込まれて捕らえられた。暴動のきっかけは、ユダヤ人たちが、パウロが神殿を汚したと言って民衆を扇動したことにあった。

パウロは捕らえられて獄中の人となり、ローマに送られ、そこで生涯を終えた。「エルサレム教会の人々に対して、パウロはお金だけではなく、その命を届けたのである。彼は物を与えることだけでエルサレムに上ったのではなく、自分自身の命を献げることを願ったのである。これが献金のまことの志であり、他の肢体のために重荷を負い、助け合う真の姿なのである。」と解説書は説く。

パウロはコリントの信徒たちに、テモテとアポロについて語る。アポロは、有能で雄弁な伝道者であったので、コリント教会でアポロ派と名乗る者が現れ、教会の分派の発端になった。それで彼はコリント教会に今は行く意思がないとパウロに伝えていた。

彼に代わってコリント教会に派遣されるテモテは、この時まだ三十歳代であった。テモテはユダヤ人キリスト教徒の母とギリシャ人の父を持つ。パウロは彼を伝道旅行に同行したかったので、その地方にいるユダヤ人の手前、まず彼に割礼を受けさせたという記事がある。パウロにとってテモテは、福音のために働く同労者であり、真実な子と等しく親愛の念をもつ弟子であった。

「テモテは、自分のことを求めるのではなく、まずキリストのことを求める練達したクリスチャンであった。年若い彼の十年近いパウロとの伝道旅行は、患難の連続、死を覚悟することが幾度もあった。このような体験が彼を、真のクリスチャンに変えていったのである。」と解説書は説く。

「患難は忍耐を生み、忍耐は練達を、練達は希望を生む」確かにそうらしい。

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コリントの信徒への手紙1 16章1~4節 [新約聖書 コリントの信徒への手紙1]

<聖なる者たちのための募金については、わたしがガラテヤの諸教会に指示したように、あなたがたも実行しなさい。(1節)>

「ここから話題が一転して『聖なる者たちのための募金』について、パウロは語り始めます。これは、エルサレムの集会のための献金のことを言います。」と河野牧師は書き出される。

エルサレム教会は財政的に窮乏の状態にあった。窮乏を招いた原因は、その地方の飢饉がその一つであった。しばしば農作物の不作に見舞われたのである。また、エルサレムはユダヤ教の神殿があり、その中心地であったから、そこで生活するクリスチャンは、周囲との軋轢から職や家族を失う者もいた。生活基盤がぜい弱な信徒が多く、収入より支出が多いのはやむを得なかった。

パウロはエルサレム教会の窮乏を補うことについて、特別の見解を持っていた。ローマ人の信徒たちへの手紙15章で、パウロはエルサレム教会への援助に触れている。

「マケドニア州とアカイアの人々が、エルサレムの聖なる者たちの貧しい人々を援助することを喜んで同意したからです。彼らは喜んで同意しましたが、実はそうする義務もあるのです。異邦人はその人たちの霊的なものに与ったのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります。」と。

福音はエルサレム教会を起点にして、全世界に広げられていった。異邦人はこの福音を伝え聞くことによって、救いに与ることができたのである。そこで、福音を受け取って救われた者たちは、福音を伝える器となった者たちが経済的に窮乏することがないように、これを助ける義務があると語った。

援助を行うにあたって週の初めの日ごとに、収入に応じて蓄えておくように勧めた。日曜日の礼拝の中で献金を継続的に行うようにと。また、献金は自発的な意思によってであり、集まった献金は自分たちのことだけに費やすのではなく、援助のために用いるようにとパウロは勧告した。

そして次に、代表者を選んで、その者たちが集められた援助の献金をエルサレムまで持っていくようにと指示した。そのようにしたのは、反対者たちに献金を集めるのは、それを私有にする意図があるからだと無用な誤解を与えないためであった。金銭は人の心に誤解を起こさせるもとになる。パウロは献金と援助の仕方について深い配慮をしていた。

「皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。体は一つの部分ではなく、多くの部分からなっています。・・・一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶ。(Ⅰコリント12章)」

「エルサレム教会への募金は単なる愛の業でもなく、キリストの体なる教会の一体性を告白するものなのです。『週の初めの日』、キリストとその復活を指す日、日曜日が礼拝の日として選ばれているということは、この時にはすでにユダヤ教の礼拝規定から分かれていることを示しています。」と河野牧師は説かれる。

私たちの教会でも礼拝説教の後は、献金、感謝の祈りが献げられる。パウロの時代から、今自分たちの教会へと継がれていることを実感し、パウロの勧告に従うことが求められていることを知る。

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コリントの信徒への手紙1 15章50~58節 [新約聖書 コリントの信徒への手紙1]

<兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。わたしはあなたがたに神秘を告げます。(50.51節)>

「パウロは、復活の体について語る時に生じるかもしれない大きな誤解を、あらかじめ防ごうとします。コリントの人々の考えは、復活は地上の体そのものの再生とみなすからです。地上の体は肉と血です。それは、決して神の国に入り得ないのです。」と河野牧師は書き出される。

ギリシャ的な思想は、人間は肉体と霊魂の二つから成り立っており、このふたつは二分される別のものであり、死において肉体は消滅し、霊魂は残ると考えられていた。パウロはそれを否定し、それらは分けられず、一つの存在であり、そして死によってそれらは消滅してしまうと説いた。血と肉は朽ち、朽ちないものに変わることはなく、すべてから断絶されたものとなる。それが死だと。

パウロはこれを奥義だと言った。奥義とは人間の目では理解することができず、信仰によってのみ受け取ることのできる真理である。

彼はキリストそのものが神の奥義だと言い「それは、彼らが心を励まされ、愛によって結び合わされ、豊かな理解力を十分に与えられ、神の奥義なるキリストを知るに至るためである。キリストの内には、知恵と知識との宝が、一切隠されている。(2章)」と説いている。

神の子であるキリストが人となって地上に来られたこと、人の罪の贖いのために十字架に死なれたこと、三日目に復活されたこと、これらは人の知恵や理性では理解できない。それは人の歴史の中で、ただ一度のことであり、人の理解の範囲を超えたことだからである。これは信仰によって、聖霊を受けて与えられる理解であり、奥義なのである。と解説書は記している。

死に対して不安と恐れを持つのは、自分が生きている間に頼みとしていたもの、功績や見識が通用せず無力なものになり、親子や夫婦の愛情、周りの人々との暖かい交流さえ無力とされるからだろうか。これまで支えとなっていた肉体はかえって苦痛の源となり、愛するものと一方的に断ち切られてしまい、愛情は大きな悲しみにかわる。死はこれらのものの無力さを露わにする。

人の一生はそのようなものだと悟り諦観すればいいのかもしれない。けれど、そんなに容易いものではない。不安の根源は別にある。それは神を押しのけて自を頼みとして生きてきた人間が、絶対的な神の前に立たされるとき、それが死の時なのである。自分の無力さを知らされ、神の前に立つとき、ここに最も大きな不安の根源があるのではないだろうか。

死んでからの事を恐れるのはイスラエルだけではない。幼いころ、地蔵盆で地獄絵図を見た覚えがある。閻魔さんの前で裁きを受け、地獄の釜で茹でられたり、針の山を登ったり、舌を抜かれる亡者たちの絵であった。「嘘ついたら、こんなことになる」と言われ怯えたことを覚えている。

「クリスチャンにとって、死の時は最後ではない。死の姿はすべてに敗れた姿ではない。死が最後の勝利者でないことを宣言して、死を迎えることができるのです。」と解説書は結んでいる。

「愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば、自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。(58節)」とパウロは、死者の復活を説く15章を結んでいる。

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