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マタイによる福音書 5章38~42節 [新約聖書 マタイによる福音書]

<「だれかが、1ミリオン行くように強いるなら、一緒に2ミリオン行きなさい。」 (41節)>

「目には目、歯には歯、手には手、足には足、やけどにはやけど、生傷には生傷、打ち傷には打ち傷をもって償わねばならない。(出エジプト21章)」

「出エジプト21章は、野蛮で非人間的な法規定ではありません。同害報復法という、過剰な復讐になることを避け、加害者も被害者も公平に同じ痛みを受けることを定めたものです。これはハムラビ法典にまでさかのぼる、世界最古の法の考え方です。」と渡部牧師は書き出される。

律法学者たちは、この言葉によって報復を正当化していた。そのため誤って人を殺した者のために「逃れの町(申命記19章)」が設けられていた。しかし、報復は報復を重ねて尽きることがなかった。被害を受けた者が、その一族に至るまで報復するという実態があった。

「悪人には手向かってはならない。誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。(39節)」

強いものにはまかれるという受動的なものではなく、悪に対して愛をもって、自分において、報復を断ち切るという強力な態度を示すことが命じられている。また、左右の頬を差し出すのは、打撃を受け止めてこれを相手に返さないことによって、本来往復する憎悪と敵対を片道で止める心が求められている。

Kさんが「右頬が先に打たれるのですか。」とS牧師に尋ねた。「ふつうは右手で左を打つのかもしれません。けれど、ここでは先に左手で軽く打たれたのでしょう。相手は次には右手で強く左頬を打つことになります。この言葉は、軽い打撃を与えられても、喜んで強い打撃を受けなさいと命じているのです。」と答えられた。

下着を取ろうとする者には、毛布代わりとなる高価な上着さえも与えなさい。1ミリオン(1.5㌔)行くことを強要された時、かえってそれ以上をもって応じるようにと言われた。

当時、ローマ軍団は行軍する時、人々に強制して荷物を運搬させた。拒むことは許されなかった。強いられた者の心は不満と屈辱であった。ところが、1ミリオンを強いられて2ミリオンを行くのは、強いられたものではなく、自由な自発的な行動であると言える。

相手の求めに応える以上に、左の頬を差し出し、上着を与え、2ミリオンを行くことは、全くこちらのペースであり、そこには敗北感はなく、愛において報復を断ち切り、自ら進んで相手を助ける強い精神が溢れている。と解説書は説く。

「主イエスはこのように悪を克服する道を教えられただけでなく、ご自身がそのように歩まれました。『罵られても罵り返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになられました(ぺトロの手紙12章)』」と渡辺牧師は結ばれている。

日曜日はお近くの教会でhttp://komatsu.church/index2.html礼拝を、どなたでもどうぞ、お待ちしています。


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