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テモテへの第一の手紙 1章12~17節 [新約聖書 テモテへの第一の手紙 ]

<しかし、わたしが憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しになり、わたしがこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした。(16節)>

パウロは、「わたしは、その罪人の最たるものです。(15節)」と現在形で、テモテに伝えることに躊躇しなかった。エフェソ教会の現状を伝え、その牧会に向かうテモテのことを思い、気落ちすることなく勇気をもっていくようにと励ました。

パウロはかつて、神の教会を迫害し、次々とキリスト者を投獄した。神を冒涜する者、迫害する者、暴力をふるう者であった。そのパウロが、神の憐れみと力によってその罪が赦されただけでなく、キリストを宣べ伝える者として変えられた。その神の力は、テモテに対しても同じように与えられるのだと、テモテを励ました。

パウロは自分自身のことを「わたしは、その罪人の最たるものです。(15節)」という度に、自分の救われる前の姿を思い出し、自分の罪の深さを思った。そして、自分の醜さに対してのキリストの憐み深さへの感謝。自分の救いと召命の体験を語ることは、神の栄光であった。

今日の個所は、感謝に始まり、「永遠の王、不滅で目に見えない唯一の神に誉れと栄光が世々限りなくありますように、アーメン(17節)」自分は罪びとの頭であるという度に、パウロはこの感謝と頌栄に導かれていく。

解説書はパウロがいう「罪びとの頭」について、「たとえどんな邪悪なものであったとしても、誰にも絶望する必要がないのです。パウロがこの言葉を言う時に、どんなものに対しても、諦めや絶望は不要なのだと私たちを勇気づけます。自分の失敗を語ることは、他の人が希望を持つことを可能にすることを彼は知っていました。」と説いている。

また、この言葉についてK牧師は、「キリストは神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、却って自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じものになられました。人間の姿で現れ、へりくだって死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。(フィリピ書2章)」を説かれている。

「罪人の頭と自分を覚えるなら、その罪を赦すためには、栄光の神キリストが滅びる者のために、見える形を取り、限りなく身を低くされたことを覚えさせます。」と。

自分の弱さや貧しさ、特に醜さは自分自身良く知っているつもりなので、何かの折に周囲の者から指摘されると「あなただって…」と反論してしまう。けれども、そういう弱点を神は憐れんで下さり、人をその使命に相応しい者へと変えて下さるらしい。

讃美歌の「amazing・grace」は奴隷船の船長であった人が作った曲だと聞いている。

日曜日はお近くの教会でhttp://komatsu.church/index2.html礼拝を、どなたでもどうぞ、お待ちしています。


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