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コヘレトの言葉 1章16~18節 [旧約聖書 コヘレトの言葉 ]

<知恵が深まれば悩みも深まり、知識が増せば痛みも増す。(18節)>

「わたしたちは、知恵や知識が深まれば、それだけ可能性が増え、世界が広がると考えているように思います、科学万能とまでは言わないまでも、このまま知恵や知識が深まっていけば、やがて人間はどんなことでもできるようになると思っているのではないかと感じる時があります。」と藤田牧師は書き出されている。

「わたしコヘレトはイスラエルの王としてエルサレムにいた。天の下に起こることをすべて知ろうと熱心に探究し、知恵を尽くして調べた。神は辛いことを人の子らの務めとなさったものだ。わたしは太陽の下に起こることをすべて見極めたが、見よ、どれもみな空しく、風を追うようなことであった。(12~14節)」

コヘレトは自らを「王」と称して重々しく語り始める。彼は並々ならぬ探求心によって、地上に起こるすべての出来事を調べたが、「見よ、どれもみな空しく…」と嘆いている。けれど、もし彼が貧しい民であったなら、その日の糧を得るために、早朝から夕方まで働き、深く考える時間もなく眠りにつく毎日だったろう。

だとすると、彼の「空しさの論理」は机上の教えであり、当時の人の全てが持つ普遍的な論理とは言えないのではないか。

登山は楽しい。近くの山を歩くだけでも、木の色、花の匂い、風の音、鳥の声に、自分も自然の一部であることを覚える。過日家族といったディズニーランドの受け身の楽しさは、残念ながらすぐに退屈した。コヘレトの言葉は五感を動かして得た言葉なのだろうか。

「歪みは直らず、欠けていれば、数えられない。わたしは心にこう言ってみた。『見よ、かつてエルサレムに君臨した者の誰にも優って、わたしは知恵を深め、大いなるものとなった』と。わたしの心は知恵と知識を深く極めたが、熱心に求めて知ったことは、結局、知恵も知識も狂気であり愚かであるにすぎないということだ。これも風を追うようなことだと悟った。(15~17節)」

新学期が始まって、いよいよ子供を塾に通わせようと長女は躍起になっている。「鉄は熱いうちに打て」である。それなのに、知恵や知識は「狂気であり愚かである」とコヘレトは教え、知恵が深まれば悩みも深まり、知識が増せば痛みも増すと教える。

お医者さんのKさんは、様々な病気と格闘し、本を読み、研究すればするほど、体の謎や不思議にぶつかり、神のなさる業だとしか思えないことが多くあると言われていた。コヘレトが知識を極めたと言っているが、それは、まだまだ手前の段階だったのかもしれない。

「知識は深まれば深まるほど、正しい選択をする責任も大きくなります。主に信頼して委ねることを知っていなければ、それは到底できないことです。ただ知識だけを増やすことは、悩みや痛みを増し加えることになるのではないでしょうか。」と藤田牧師は結ばれる。

日曜日はお近くの教会で礼拝を http://komatsu.church/index2.htmlどなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。


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