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コヘレトの言葉 2章1~2節 [旧約聖書 コヘレトの言葉 ]

<わたしはこうつぶやいた。「快楽を追ってみよう。愉悦に浸ってみよう。」見よ、それすらも空しかった。(1節)>

「笑いや快楽は、楽しみをもたらしてくれます。笑うということは良いことであるという認識は、広くひろまっているのではないでしょうか。健康に良いともいわれます。しかし、コヘレトは、それもまた空しいと言います。笑いや快楽が一時的なものでしかないからです。」と、藤田牧師は書き出される。

地元の野球チームに負けが重なるとTVを見るのがつらくなり、守備に回るとTVを消したくなる。TVを消すと全く別の世界に戻ることができ、いらいらハラハラすることなく、血圧も正常に戻る。それでも、夢中になっての観戦は面白い。

藤田牧師は「いっとき笑わせてくれ、楽しい気分にしてくれるものも私たちには必要です。ですが、その喜びは、私たちの命や生涯を意味あるものとして支えてくれる土台にまではなりません。」と戒められる。

スポーツ観戦で喜びや感動が与えられ、明日への力になるような時がある。誰もがそのような経験をするはずだからと「東京オリンピック」は、誘致されたのだろう。けれど、それは「いっとき」のものであると、藤田牧師は説かれる。それは、酒に酔うように、世の流れに沿うような、自分を失くした酩酊状態の喜びなのだと。

「人間の本性の深いところは、神が下さる喜びを、そのまま受け取ろうとしない傾向が潜んでいるのです」とK牧師は言われ、神から受けるのではなく、自分自身で作り出した喜びにこそ憧れるという傾向があると説かれた。

人は与えられる喜びより、勝ち取る喜びを好むらしい。創世記は、人が神から与えられた楽園に満足しないで、自ら喜びを勝ち取ろうとした罪を伝えている。

「人をまことに喜ばしいものにしてくれるのは、一人一人の命や存在を意味あるもの、尊いものとして守り、支えてくれるものではないでしょうか。そんな拠り所を持つことができれば、私たちはどんなことが起こっても、喜ばしい存在でいることができるように思います。永遠に変わらない真実なお方こそ、その拠り所なのです。」と藤田牧師は結ばれる。

真実なお方は、こちらが惨めな時にも、不遜になって誰からも厭われる者になった時にも、助け求める者に、変わらぬ愛の手を差し伸べて下さる。

日曜日はお近くの教会で礼拝を http://komatsu.church/index2.htmlどなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。


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