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コヘレトの言葉 2章3~11節 [旧約聖書 コヘレトの言葉 ]

<しかし、わたしは顧みた。この手の業、労苦の結果のひとつひとつを。見よ、どれも空しく、風を追うようなことであった。(11節)>

「コヘレトは手に入る限りの富を蓄え、尽くせる限りの贅を尽くして屋敷を整えたと言います。ほしいと思うものは何でも手に入れました。『どのような快楽もあまさず試みた』というほどです。しかし、その結果のひとつひとつを振り返ってみる時、どれも空しいと言わざるを得なかったのでした。」と藤田牧師は書き出される。

人生は短い、その短い人生に人は何をなすべきか、コヘレトは「わたしの心は何事も知恵に聞こうと(3節)」した。何をすれば幸福になるのかを見極めるまで「酒で肉体を刺激し、愚行に身を任せてみようと心に定めた。(3節)」

そして、彼は、多くの宮殿を建設し、果樹を植え、池を掘り、水路を開くなどの大事業を起こし、男女の奴隷と家畜、金銀、宝物を手に入れ、歌手と側女を置き「快楽をあまさず試みた(10節)」彼は高位と繁栄と快楽を得、労苦を通して楽しみを得た。しかし、その結果、彼が得たのは空しさだけであった。

「コヘレトの言葉」は、ソロモンが書いたのではないと解説書にあったが、ソロモン王がモデルになっているということだろうか。こんなに贅沢ができるのはソロモン以外に考えられないのだけれど。それにしても、彼が耳を傾けた知恵の書には、お金を投ずることによってしか「幸福」は得られないのだと、記していたのだろうか。

彼から税金を搾り取られる人々や、厳しい立場にある奴隷の人権、その他、彼を取り巻く人々も幸福を求めているのだと、彼が気づくことはなかったのだろうか。彼の身近な人々から彼が「幸福」を感じることはなかったのだろうか。古代なのだから仕方がないと思うものの、今の世でも彼のような人は多くいるだろう。

「空しくない人生を送るために必要な物とは何でしょう。それは、有り余るほどの富ではないとコヘレトは証言しています。それは、わたしたち自身の中にある何かではないし、また自分で獲得した何かでもなく、与えられるもの、あるいは受け取ることしか出来ないものなのではないでしょうか。自分の手の業によって生きることの意味を満たすことはできないと、コヘレトは言っているように思います。」と藤田牧師は説かれる。

そして「神がご自分の愛ゆえに与えて下さる恵み、その中にこそわたしたちは空しくならない命を見いだすのです。」と結ばれている。

藤田牧師の言葉は深い。よくわかり、そうなんだと思うもののぼんやりとした理解だ。歳を重ねていいかげん「神がご自分の愛ゆえに与えて下さる恵み」を自覚しないといけないのだけれど…。顧みて自分が空しい人生を送っているとも思えない。かといって空しくないとも言い切れない。

「コヘレトの言葉」をじっくり読んで、これを機に人生について考えることにする。

日曜日はお近くの教会で礼拝を http://komatsu.church/index2.htmlどなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。