So-net無料ブログ作成
検索選択
旧約聖書 列王記上 ブログトップ
前の5件 | -

列王記上 5章9~14節 [旧約聖書 列王記上]

<神はソロモンに非常に豊かな知恵と洞察力と海辺の砂浜のような広い心をお授けになった。ソロモンの知恵は東方のどの人の知恵にも、エジプトのいかなる知恵にも勝った。(9.10節)>

列王記上1章は「ダビデ王は多くの日を重ねて老人になり、衣を何枚着せられても暖まらなかった」と、ダビデの最期から始まる。アムノンとアブサロム亡き後、王位継承の候補は、第四王子アドニヤとバト・シェバの子ソロモンとなった。

アドニヤは「わたしが王になる」と言い、戦車と馬と50人の護衛兵をそろえた。そして、ダビデの甥ヨアブ、祭司アビアタルの支持を得ると父王の意向を問うこともなく、羊、牛、肥えた家畜を屠ってささげ宴を開き、ユダの人々をことごとくそこに招いた。しかし、預言者ナタン、ベナヤ、ダビデの勇士たち、兄弟ソロモンを招かなかった。

「預言者ナタンは王妃を促し、・・・『王の誓い』を思い起こさせました。『主にかけて』、神の選びと約束を基準にして、王自ら誓われたではありませんかと、問われた老王は、主に救われた生涯を顧み、御言葉を思い起こした。老王の言葉で、ナタンはソロモンに油を注ぐと、アドニヤは震え上がり、ソロモンにひれ伏すほかありません。」と府中中河原伝道所、大石周平牧師は説かれる。

2章は、ダビデが「わたしはこの世の全ての者がたどる道を行こうとしている」と前置きしてソロモンに最期の言葉を送る。「あなたは勇ましく、雄々しくあれ。あなたの神、主の務めを守ってその道を歩み、モーセの律法に記されているとおり、主の掟と戒めを守れ。」と。

そして、主がダビデに告げて下さった「あなたの子孫が自分の歩む道に留意し、まことをもって、心を尽くし、魂を尽くしてわたしの道を歩むなら、イスラエルの王座に着く者が断たれることはない」という約束を守って下さるであろうと、言葉を続けた。

やがてダビデが死ぬとソロモンは王座に着き、その支配は確立した。それと同時に王位をうかがっていた者はすべて死の報いを受けた。「こうして王国はソロモンの手によって揺るぎないものとなった」と2章は結ばれる。

主から夢で「何事でも願うがよい。あなたに与えよう。」と言われたソロモンは、「わが神主よ、あなたは父ダビデに代わる王として僕をお立てになりました。しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのように振る舞うべきかを知りません。・・・どうか聞き分ける心をお与えください」と願った。

主は「あなたは自分の長寿や富、敵の命を求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。」と彼の願いをお喜びになり、知恵に満ちた賢明な心と、彼が求めなかった富と栄光を与えると約束され、主の道を歩むなら長寿をも恵もうと告げられた。

自分の元日の願いが本当に貧しいものであったことを知らされる。

日曜日はお近くの教会で礼拝を どなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。


共通テーマ:

列王記上 5章17~19節 [旧約聖書 列王記上]

<今や、わたしの神、主は周囲の者たちからわたしを守って、安らぎを与えてくださり、敵対する者も、災いをもたらす者もいません。ここに至ってわたしは、わたしの神、主の御名のために神殿を建てようと考えています。(17.19節)>

「列王記は、ダビデの後継者ソロモンから南ユダ王国と北イスラエル王国における歴代の王の治世を記録しています。それらは約400年の期間に及び、イスラエル王国衰退物語です。南ユダ王国には20人の王が、また北イスラエル王国には19人の王が登場します。

ソロモンの治世に王国はその絶頂に達します。その王国は父ダビデから引き継いだものの十倍にも及びます。しかし、ソロモンの死とともに王制はすでに神がそれを通してご自身の『聖』を表わす媒体ではなくなっていました。この時から、エリヤをはじめとする預言者の時代が始まります。イスラエルの王制の理念、つまり『神こそ真の王であり、人間の王はあくまでも神の代理者にすぎない』とする理念が崩壊しつつあったときに、

それに対して断固 No!と叫んだのが預言者たちでした。彼らは命をかけてイスラエルの王制の理念を語り、王による国の私物化は亡国を招くことを警告しました。その預言者たちの歴史観を骨格として記されたのが『列王記』です。それぞれの時代を治めた王たちと深く関わりをもった彼らの霊性を通して、現代に生きる私たちへのメッセージは何かを考えつつ、列王記の瞑想を試みたいと思います。」M牧師のHPを写させて頂いた。

さて、ティルスの王ヒラムはソロモンが油を注がれ、彼の父に代わって王となったことを聞き、ソロモンのもとに家来を遣わした。彼は以前、ダビデのもとに使節を派遣し、レバノン杉、木工、石工を送りダビデの王宮を建てていた。

そのヒラムの遣いを迎えたソロモンは、父ダビデが戦争に明け暮れ神殿建築を果たせなかったが、「今や、わたしの神、主は周囲の者たちからわたしを守って、安らぎを与えてくださり、敵対する者も、災いをもたらす者もいません。」と神殿建築に取り掛かる条件が与えられたことを告げた。

4節「ソロモンはティフサからガザに至るユーフラテス西方の全域とユーフラテス西方の王侯をすべて支配下に置き、国境はどこを見回しても平和であった。ソロモンの在世中、ユダとイスラエルの人々は、ダンからベエル・シェバに至るまで、どこでもそれぞれ自分のぶどうの木の下、いちじくの木の下で安らかに暮らした。」これらの地の、現在の状況を思うとほんとに辛い。

平和なしでは木材も人材も不足したことでしょう。平和はこのようにして、「この者が、わたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに固く据える(サムエル記下7章)と告げられた神の約束の実現に貢献します。と大石牧師は結ばれる。

主よ、どうぞ平安を与えてください。逃げ場のない子供たちをお救いください。

日曜日はお近くの教会で礼拝を http://komatsu.church/index2.htmlどなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。


共通テーマ:

列王記上 8章1~13節 [旧約聖書 列王記上]

<ソロモンはその時こう言った。「主は蜜雲の中にとどまる、と仰せになった。荘厳な神殿をいつの世にもとどまって頂ける聖所を、わたしはあなたのために建てました。」(12.13節)>

6.7章は、主の王座である神殿と、王の王座である宮殿の建築が並んで言及される。「二つの王座は切り離せません。『聖なる山シオンで、わたしは自ら、王を即位させた(詩編2)』天の王座にいます主が神殿にとどまって下さるなら、従う地上の王の支配も確かにされる。そして、ダビデの町シオンから神殿内に、契約の箱と臨在の幕屋が移されるのです。」と大石牧師は説かれる。

6.7章を読むだけで、その豪華さに圧倒される。神殿の建築は、石を用いて行われ、神殿の内壁を床から天井の壁面までレバノン杉の板で仕上げ、内部を木材で覆い、床にも糸杉の板を張りつめた。更に、神殿の奥に設けられた内陣は、主の契約の箱を安置するためのもので、奥行き、間口、高さ20アンマ(1アンマは45cm)、その内部全てを純金で覆った。

ソロモンの治世4年に始まった神殿建築は7年を要し、宮殿の建築は13年の年月がかけられた。その上に、神殿の備品制作に時間が費やされた。

「ソロモン王は、主の神殿で行われてきた仕事が全て完了すると、父ダビデが聖別した物、銀、金、その他の祭具を運び入れ、主の神殿の宝物庫に納めた。」と7章は結ぶ。

そして「ソロモンは、そこでイスラエルの長老、全ての部族長、イスラエル人家系の首長をエルサレムの自分のもとに招集した。『ダビデの町』シオン(エルサレムの東南部の丘、後には神殿あるいはエルサレム全体を指す)から主の契約の箱を担ぎ上るためであった」と8章は書き出される。

そして、全てのイスラエル人がソロモンのもとに集まった。その日は、レビ記23章に「第七の月の15日には、七日間にわたる主の仮庵の祭りがある」と記されている日であった。神殿奉献の時期が、イスラエル人たちがエルサレムに集まって、粗末な小屋を立てて祝う、三大例祭の一つ「仮庵の祭り」の時、時期としては収穫を祝う感謝祭でもあった。

それは、神が幕屋に住まわれたことを記念する祭りで、神の御子主イエスが人となられた時、主イエス誕生の時でもあった。

「ソロモンが神殿に主を迎えるために奉献し、その聖所に主の臨在の雲が満ちたのは仮庵の祭り、主の御使いが野宿していた羊飼いのところに現れたときに、主の栄光が辺りを照らしたことと、神殿が栄光の雲に満ちたことと符合しています。」とM牧師は説かれる。

主はこの神殿の豪華さを喜ばれたのだろうか。神殿建築にあたっての民衆の苦しみを思ってしまう。

日曜日はお近くの教会で礼拝を http://komatsu.church/index2.htmlどなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。


共通テーマ:

列王記上 8章14~21節 [旧約聖書 列王記上]

<主は約束なさったことを実現された。主が約束なさったとおり、わたしは父ダビデに代わって立ち、イスラエルの王座につき、イスラエルの神、主の御名のためにこの神殿を建てた。(20節)>

祭司たちは主の契約の箱を定められた場所、至聖所と言われる神殿の内陣に運び入れ、ケリビムの翼の下に安置した。箱の中には石の板2枚のほかは何もなかった。石の板は、主がエジプトの地から出たイスラエル人と契約を結ばれた時、モーセが納めたものである。

祭司たちが聖所から出ると、雲が主の神殿に満ちた。その雲のために祭司たちは奉仕を続けることが出来なかった。主の栄光が主の神殿に満ちたからである。

それを見てソロモンは「主は蜜雲の中にとどまる、と仰せになった。荘厳な神殿をいつの世にもとどまって頂ける聖所を、わたしはあなたのために建てました。」と言った。

「周りに闇を置いて隠れ家とし…」は詩編18編。この箇所は、ダビデがサウルの手から救い出された時にうたわれた。光の神としての助けではなく、闇を隠れ家とされる神の助けです。直接の臨在を避けられるのです。

そして、闇に住む者に救いの手を指しのばして下さるのです。闇を隠れ家とされる神との交わりが出来るということは私たちにとって救いではないでしょうか。闇の中でこそ私たちは神と出会えるのです。」とM牧師は説かれる。

神殿に賛美を捧げると、ソロモン王は振り向いて、その場に立つイスラエルの全会衆に向って「イスラエルの神、主は讃えられますように」と祝福した。

大石牧師は、ここに訳される「祝福」「讃える」は同じ単語であると指摘され「王は神からの祝福を人にもたらし、人からの讃美(祝福)を神にささげる橋渡しの務め、つまり『祭司的王』『仲介者』の務めを果たします。また、約束の成就を繰り返し告知して『預言者』のような務めも果たします。」と説かれる。

そして、これらの務めはキリストの御業の豊かさをあらかじめ指し示すものである。主イエス・キリストは真のメシア、油注がれた「王」「祭司」「預言者」の三職を完成された方であると続けて説かれる。

欧米の教会の前に立つと、大理石の美しさ繊細な彫刻、その立派さに驚いてしまうが、段々と興味を失う。この教会は生きて働いているのだろうか、信者はどこにいるのだろうか、この建築にどれだけの人々が命を失っただろうかと思ってしまうからだ。

主イエスはガリラヤ湖の畔や、山の上、広場、信者の家、屋根も囲いもないところで人々に恵みの御言葉を語っていかれた。

日曜日はお近くの教会で礼拝を http://komatsu.church/index2.htmlどなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。


共通テーマ:

列王記上 8章22~26節 [旧約聖書 列王記上]

<イスラエルの神よ、あなたの僕、わたしの父ダビデになさった約束が、今後も確かに実現されますように。(26節)>

王ソロモンは、全会衆に「…主が約束なさったとおり、わたしは父ダビデに代わって立ち、イスラエルの王座につき、イスラエルの神、主の御名のためにこの神殿を建てた。またわたしは、そこに主との契約を納めた箱のために場所を設けた。その契約は、主がわたしたちの先祖をエジプトの地から導き出された時に、彼らと結ばれたものである。」と言った。

そして王ソロモンは、全会衆の前で、主の祭壇の前に立ち、両手を天に伸ばして祈った。荘厳で華麗、今まで目にしたこともない豪華な神殿、その神殿に高く手を上げ王ソロモンは祈る。その姿の美しさ、その衣装の豪華さきらびやかさは全会衆の心を奪った。

「心を尽くして御前を歩む僕たち」に契約の成就が約束される。ソロモンは全会衆の代表として祈りをささげる。紀元前1290年から始まる荒れ野の40年の放浪の中で、民と結ばれた契約が300年の時を得て、今ここに現されたと祈った。

「だから、この日イスラエルは、父祖の伝承を振り返りながら同時に今後も同じ約束が守られ続けることを確信して祈るのです。『約束が、今後も確かに実現されますように』いつの時も、夕に朝に常なる『今』を感謝して祈る。それが、とこしえに生きる永遠者を、『慈しみ注がれる神』として知る僕たちの姿なのです。」と大石牧師は説かれる。

小さいころ、お正月は神社に詣で、柏手を打ち家内安全などを願い、お賽銭を投げた。願いを叶えて下さる方が、奥に祀られているからだと教えられていた。イスラエルの神殿はそれとどこが違うのだろうか。ソロモンの祈りは続く。

「神は果たして地上にお住まいになるのでしょうか。天の天もあなたをお納めすることが出来ません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。…」と。

「神は天に住んでおられるという表現は、神がどんな制限下にもないことを意味する場合のみ有効なのです。ただ『聖所にわたしの名をとどめる』との神の約束も真実です。…『叫びと祈り』をささげる場所が人間に必要なことをご存じの神が、その声を聞くために聖所建設を許して下さいました。」と大石牧師は説かれる。

そして「移動式の幕屋から動かぬ丘の神殿に祈りの座が移され、祈るべき方向が定められると、かえって御心の自由な広がりを覚えます。神は建物に住むのではなく、夜も昼も主のまします所へ向かう心に寄り添い『讃美に住まう』方なのです。」と続けられる。

クリスチャンは聖日なれば雪降るなかも会堂に集う。家での祈りであっても主は聞いて下さるのに、それでも会堂に集い祈る。会堂にこだわらないけれど、会堂で祈りたいと思う。

日曜日はお近くの教会で礼拝を http://komatsu.church/index2.htmlどなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。


共通テーマ:
前の5件 | - 旧約聖書 列王記上 ブログトップ