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ガラテヤの信徒への手紙 1章1~5節 [新約聖書 ガラテヤの信徒への手紙]

<人々からではなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ、・・・ガラテヤ地方の諸教会へ。(1.2節)>

ガラテヤは小アジア中部(現在のトルコ)に位置するローマの属州であるとされている。「ガラテヤ」というのはローマ帝国での呼称で、この地方を広く支配していたケルト族ガリヤに由来するものである。この地域には紀元前270年ごろ、ヨーロッパ中部から南下したケルト族が移住し独自の文化と言語を持っていた。

「使徒(原語では使者)」とは、主イエスが弟子の中からお選びになった12人。主イエスが復活された後は、教会の最高の職位として宣教の責任を持つ者を意味する。パウロは主イエスの公生涯に出会うことはなかった。けれども、彼を使徒として選ばれたのは、キリストと神であると、パウロはまず、最初に記した。

「手紙は、『私と一緒にいる兄弟一同から』とありますから、主の恵みに生かされている兄弟たちも含めており、受信するガラテヤの諸教会に『わたしの父である神と主イエス・キリストの恵みと平和』が祈られています。それは、パウロが建設に加わった教会です。」と5月の家庭礼拝暦担当、明石大久保教会福井重蔵牧師が書き出される。

パウロからの手紙は、ガラテヤ地方にある複数の教会で回覧され、礼拝説教として用いられた。「兄弟・姉妹」と、キリスト者は互いに神の家族としてそう呼び合っている。そういえば、カトリック教会では今も「ブラザー、シスター」と呼ばれて教会に仕えておられる人々がいる。

諸教会の平安を祈った後手紙は「キリストの恵みへ招いて下さった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、他の福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。・・・」と厳しい苦言が記される。

ガラテヤの諸教会の人々は、初めにパウロが伝えたキリストの福音から離れて、パウロが去った後から教会に入って来た異なる教えに何の抵抗もなくついて行きつつあった。

「キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、ご自身をわたしたちの罪のために献げて下さったのです。」という福音がパウロにとってすべてであった。これに何か補うものを必要とする考えがあれば断固として退けられなければならなかった。

パウロの後から教会に入って来た人はどういう人たちだったのだろうか。パウロよりも年長で経験豊富、この世的地位もある人たちだったのだろうか。パウロが説く福音は今のキリスト者にとっても大切な福音である。私たちもこの罠にはまってしまう危険がある。

旧約聖書を熟読した人が、福音を信じるならば、律法や割礼をしなければ守ったとは言えないと説いたのだろうか。私たちも時々、教会に連なるならもう少しきちんとしてほしいと隣人について非難の心を持つことがある。教会は弱いものの来るところ、病院でもあるということを忘れて、それを排除しようと考えてしまう弱さがある。

先日、Iさんのお宅を訪問したら、ジャズ奏者の娘さんがおられたので讃美歌の「主われを愛す」を歌った。そのあと、娘さんがその歌をジャズでアレンジして演奏して下さった。心がうきうきしたのだけれど「うちの教会ではこれは出来ないね」とみんなで言い合った。

コンサートといえば、クラシックばかりで、しみじみと静かに聞くことが求められる。うちの教会では、子供がはしゃぎ、若者踊りだすウキウキする讃美歌を歌うことは出来ないらしい。


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ガラテヤの信徒への手紙 2章11~14節 [新約聖書 ガラテヤの信徒への手紙]

<しかし、わたしは彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。(14節)>

「兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は,人によるものではありません。わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたものでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。」と強調し、パウロは今まで自分の歩んできた道を、ガラテヤの信徒たちに語ってゆく。

その中に地名が多く出てくる。エルサレムはユダヤ民族にとって宗教の中心地であり、初代のキリスト者の多くはユダヤ人であったので、主な使徒たちはエルサレムやその周辺にいた。

ダマスコはシリア州の商業や貿易の重要な中心地であり、重要な街道がダマスコを通るので、福音はダマスコに届き多くの人に受け入れられていた。主イエス自身がパウロに現れ、彼の人生を一変させたのは、彼がダマスコにいた信徒を迫害するためにダマスコに向かう途中だった。

彼はその出来事の後、アラビアのナバテアでしばらく(3年)過ごしたと思われる。ナバテアはダマスコ南部ヨルダン川の東。彼がそこに止まったのはダマスコの中に住むユダヤ人の中に主イエスについて宣教する彼を殺そうとしていた者がいたからであると思われる。

その後、ケファ(ぺトロ)と知り合いになるためエルサレムに上り15日間滞在した後、シリア、キリキアの地の異邦人に宣教した。そして14年経って、アンティオキアの教会にいたパウロは、啓示を受けてバルバナ、テトスと一緒にエルサレムに再び上った。そこで最初の使徒会議が行われた。

「パウロはエルサレム教会の主だった人たちと語り合うのですが、決して彼らにおもねることはありませんでした。『神は人を分け隔てなさいません』とあります。使徒会議の大きな議題はそれまでのユダヤ人教会に異邦人世界への宣教の課題が切迫したこととして持ちこまれたことになります。」と福井牧師は説かれる。

会議の席にはパウロが「偽の預言者」と呼ぶユダヤ主義者もいた。律法、割礼の必要をあおり立て、激しい応酬となったと思われる。しかし、パウロに同行した異邦人テトスへの割礼は強要されることなく、またパウロの復活のキリストの出会い、異邦人への福音宣教は賛同を得ることが出来た。アンティオキア教会、エルサレム教会は協同して同じ福音のもとそれぞれの領域・方法で宣教の御業に尽くすべく、その一致のしたことを記しとして握手を交わした。

今度はケファ(ぺトロ)がシリア州のアンティオキアの教会を訪問した。ここはローマ帝国でも3番目に大きな都市だった。パウロの3回の宣教旅行はアンティオキアを拠点とした。この教会では異邦人信徒と、律法の食事規定をもつユダヤ人信徒が一緒に食事の席に着いていた。

ぺトロも一緒にその席に着いていたが、エルサレムの教会から保守的なユダヤ人信徒たちがアンティオキア教会の様子を見にやって来ると、ぺトロは彼らを恐れ、徐々にその席から身を引いて行き、パウロの良き理解者バルバナまでもがぺトロに同調してしまった。

パウロは皆の前でぺトロに「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか」と言った。

手厳しい言葉である。みんなの前で指摘されぺトロはどう答えたのだろうか。


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ガラテヤの信徒への手紙 2章15~21節 [新約聖書 ガラテヤの信徒への手紙]

<生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。(20節)>

「パウロは自らの召命前後の事、エルサレム会議、そしてぺトロとの衝突の出来事などを語って来ました。ここからは福音の真理についての重要な内容に入っていきます。」と福井牧師は書き出される。

「信仰によって義とされる」とは、パウロがダマスコに向かう道でキリストとの出会いによって、主を知り信じたことがそれである。彼はさっきまで主イエスを救い主であると信じる人々を弾圧し、迫害する人々の先鋒にあった。そのためにダマスコに向かっていたのだ。

「さて、サウロ(パウロ)はなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで大祭司のところに行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった」と使徒言行録は記している。

鼻息荒く道を急ぐパウロ、その時突然、天からの光が彼の周りを照らした。パウロは地に倒れ「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。

劇的なパウロの回心である。「人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされる」とパウロは宣言する。この宣言はパウロの福音の核心部分であると言われている。主を信じる多くの人々を虐待し、あるいは殺害したパウロの確信である。

「神との関係が正常であると宣言され、受け入れて頂けるのは、律法の諸規定を人の力でどれだけ守ったかということによらない。ただ神の恵みとしてのイエス・キリストを信じる信仰のみによる、ということです。」と福井牧師は説かれる。

イスラエルの民は神の意志による教えと戒めである律法を遵守してきた。神は人の守るべき道を教え、十戒その他の戒めを与えた。民はそれらを守ることによって、神の選びと愛と契約に答えなければならないとされた。

ということは、律法は、人は所詮罪人であり、律法を守らないと義とされないと教えている。けれども、主イエスは、律法の中で最も重要な掟は愛であると説かれた。そして、律法を廃止するためではなく、それを完成するために来たと言われ、人間の罪をすべて背負われて十字架にかかり、人の罪を葬って下さった。

パウロは、そのイエス・キリストを信じることによって神の義が、人々に与えられるのだと説いた。パウロはキリストの死は律法の呪いから自分を解放させ、今は、律法の下にあった古い命がキリストへの信仰に基づく新しい命に変えられたとガラテヤの信徒たちに語った。

パウロは「わたしのために身を捧げられた神の子に対する信仰によって生きている」と言い放つ。「わたしたちも主の十字架の死に自分の罪と死を合わせて頂き、主の復活による新しい命を与えられ、常に主と共に歩む信仰の喜びに生きるものとされています。」と福井牧師は結ばれる。

連休は、教会の修養会があり、山上の説教とボンヘッファーの講演を聞いてたくさんの励ましを頂いた。「時間が短かった。もっといろいろ聞きたかった。話したかった。」という声があったが、そろそろ我々は聞いて行う者にならなければと思った。


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ガラテヤの信徒への手紙 3章1~5節 [新約聖書 ガラテヤの信徒への手紙]

<ああ、物わかりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか。(1節)>

パウロの最初の宣教旅行は、シリアのアンティオキアから出発し、ガラテヤの地ピシディア州のアンティオキアに入った。そして安息日にユダヤ人の会堂に入った。そこで「会衆のために励ましのお言葉があれば、話して下さい」と請われるまま、イエス・キリストの福音を宣教した。

「異邦人たちはこれを聞いて喜び、主を讃美した。…ところがユダヤ人たちは町の主だった人々を扇動して、パウロとバルバナを迫害させ、その地方から二人を追い出した。それで二人は足の塵を払落しイコニオンに行った。」と使徒言行録13章は記す。

イコニオンでも同じようにユダヤ人の会堂に入って話をしたところ、大勢のユダヤ人やギリシャ人(異邦人)が信仰に入った。しかし、ここでもユダヤ人が人々を扇動し彼らに悪意を抱かせ、乱暴を働き、石を投げ、町の人々は分裂した。二人は近くの地方に難をさけそこでも福音を告げ知らせた。

4節で、「あれほどの事を体験したのは、無駄だったのですか。無駄であったはずはないでしょうに・・・」とパウロは嘆く。町を二分してまでも、親族の反対を押し切ってまでも、福音に喜びを感じ、主を讃美した、あの信仰はどこにいったのかとパウロは嘆いた。

「パウロの福音宣教に働かれた聖霊は彼らに主の十字架と復活の出来事を彼ら一人一人に迫るものとして示し、イエス・キリストを主として受け入れる信仰を与えたのでした。こうして彼らは罪の赦しと新しい命を頂いて、教会において一つに結ばれ、聖霊の下さる生き生きとした力において新しい時代に向かうはずでした。」と福井牧師は説かれる。

難を避けイコニオンを出たパウロたちは近くのリストラでも宣教したが、群衆を抱き込んだユダヤ人たちによって石を投げつけられ町の外に引きずり出されてしまった。その後、デルベに向かいそこで多くの人を弟子にした。

そしてそこから、来た道を引き返し、町に入ると教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信じる主に任せた。そしてシリアのアンティオキアに向かった。そこから、エルサレムへ向かいエルサレム会議に出席する。

多忙なパウロの日々である。しかし、パウロは一つ一つの教会を疎かにすることなく、各教会ごとに長老を立て、聖霊の注ぎを祈った。それなのに、ガラテヤの教会の人々は、キリストの福音だけでなく、その上に割礼などを補う必要性を熱心に説く人々の論に傾いてしまっていた。

「あなたがたが“霊”を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも、福音を聞いて信じたからですか。」とパウロは苛立たしげに彼らに問いかける。

そういえば、教派の違うAさんは洗礼を受ける前、簡単だけれど筆記テストがあったと言っていた。合格してきれいな盾と認証書を頂いたと、本棚のそれを見せてくれた。日本キリスト教会にそんなのはないというと、首を傾げていた。

何の制約も決まりもない。ただ一つイエス・キリストは神のひとり子、救い主であるということを信じるだけ。


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ガラテヤの信徒への手紙 3章6~14節 [新約聖書 ガラテヤの信徒への手紙]

<それは、アブラハムに与えられた祝福がキリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、またわたしたちが約束された“霊”を信仰によって受けるためでした。(14節)>

創世記12章「主はアブラム(アブラハム)に言われた。『あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める…』アブラムは主の言葉に従って旅立った。」ハランを出発した時アブラムは75歳であった。

紀元前2千年頃、主はアブラハムにそう約束された。メソポタミアからカナンに入ったアブラハムは主に尋ねた「わが神、主よ。わたしに何を下さるというのですか。わたしには子どもがありません。あなたはわたしに子孫を与えてくださいませんでした」と。

主はアブラハムを外に連れ出し「天を仰いで星を数えることが出来るなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこのようになる。」と言われた。アブラハムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。

「わたしの契約は来年の今ごろ、サラがあなたとの間に産むイサクと立てる」イサク誕生の予告を受けて、アブラハムは自分の家で生まれた奴隷や、買い取った奴隷、家の男子を皆集めてすぐその日に神が命じられたとおり包皮に割礼を施した。アブラハムが割礼を受けたのは99歳であった。

主がアブラハムを「義」と認められたのは、彼が割礼を施す前だった。「だから、信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい」とパウロは命じた。神がアブラハムを選んだので、彼の子孫は皆、神の子であると信じられていた。

パウロの後に来た指導者たちは、割礼と律法遵守が「義」を得る道であると説いていた。先日受けた講演の話をみんなで話し合った時、昔、私たちの教会におられたF牧師は、皆で講演を聞いた後、最後に講演のまとめを出席者に話されたらしい。

その話を聞いたHさんは「昔の牧師は、立派だったなぁ」と言い、Kさんは「責任感の強い方だった」と言った。すると、Mさんが「それは、考える力を奪うことにならないのか」と異議を唱えられた。一つの講演をみんなが違う角度で聞き、聞いた後まとめて講演が膨らんでいくのだと。

専門家が専門書を読み、それをあまり深く考える力を持たない人々に教え諭す。ガラテヤの新指導者もそのような人たちであったろう。パウロよりもゆったりとおおらかな人々であったかもしれない。その教えはパウロにはない魅力があった。しかし、彼らは神を仰ぐことをしないで、専門書にその答えを求めた。

「出エジプト」に続く「レビ記」には、細々と規定が記されている。やり過ぎではないかと思うこともあるけれど、身を清めるという規定が多くあり、伝染病予防からも清潔を保つことを何より重視されていたことがうかがえる。映画でしか見ないが、欧米人の清潔意識がこうして培われてきたのではないだろうかとも思う。

しかし、律法を完璧に守ることが出来るものは誰もいない。それでも、申命記27章の最後は「この律法の言葉を守り行わないものは呪われる。」民は皆「アーメン」と言わねばならないと命じているので、律法に頼る者は誰でもそれを実行できないので呪われた者と言う事になる。

行いによって信仰の度合いを計るのは間違っている。しかし、行いの伴わない信仰は信仰とは言えないとも言われたことがある。

日曜日はお近くの教会で礼拝を http://komatsu.church/index2.htmlどなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。


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