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エレミヤ書 2章4~8節 [旧約聖書 エレミヤ書]

<祭司たちも尋ねなかった。「主がどこにおられるか」と。律法を教える人たちはわたしを理解せず。指導者たちはわたしに背き、預言者たちはバアルによって預言し、助けにならないものの後を追った。(8節)>

エレミヤが預言者として召命を受けたBC626年は、ヨシヤ王の治世(640~609年)の13年めであった。アッシリア帝国は北イスラエル王国を滅ぼし(722年)、南ユダ王国を支配下に置いていた。

しかしやがて、アッシリア帝国の国力が衰退し始めると、ユダヤでは反アッシリアの動きが強まり、ヨシヤ王は北王国の領土回復を行い、南北統一の再建を目指した。しかし、ユダの国土は復興しても、人々は相変わらず異教の神々を礼拝し、社会正義も後退していた。

その中で「・・・わたしがあなたを、誰の所へ、遣わそうとも、行って、わたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて、必ず救い出す。」と、主の言葉がエレミヤに臨んだ。

「エレミヤに託される神の言葉は一貫していて、とても単純素朴。『悔い改めて、神のもとへと立ち戻れ。そうでなければ、神はあなたがたを罰せずにはおかないだろう』と。40年間もの間、彼は神のこうした言葉を語り続け、けれど誰も耳を傾けません。隣人たちも家族も友人たちも民衆も、祭司や王たちも彼の言葉を拒みます。やがて、迫りくるエルサレム陥落をまざまざと見据えながら、彼の苦闘が続きます。」と10月の家庭礼拝歴担当、上田教会金田聖治牧師は説かれる。

「主はわたしに言われた」とエレミヤは語る。「北から災いが襲い掛かる。この地に住む者すべてに。北のすべての民とすべての国に、わたしは今、呼びかける、と主は言われる。彼らはやってきて、エルサレムの門の前に、都を取り巻く城壁と、ユダのすべての町に向かって、それぞれの王座を据える。・・・」

北にあるメソポタミア諸国(バビロン)を、神はご自身の審判の道具として用いるため彼らに呼びかけ、ユダとエルサレムに住む人々に裁きを下すと告げられた。

奴隷状態であったエジプトから脱出し、乳と密の流れる約束の地を与えられ、主の導きと愛に従順に生きることを約束した人々。「神を愛し、その律法を重んじる」人々が「形式主義、律法主義者」に変節してしまった。それらは一人の中に混在し、その区別はつけ難いものであった。

金田牧師は「神と隣人を心から愛して生きるクリスチャン」と「形の整った名ばかりのクリスチャン」との違いも「とても、とても微妙である」と説かれている。

「わたしは、わが民の甚だしい悪に対して、裁きを告げる。彼らはわたしを捨て、他の神々に香をたき、手で造ったものの前にひれ伏した。」主の厳しい裁きは決定的なものだった。

「空しいものに従って、空しくなった先祖と私たちとを、だからこそ神は尋ね求め続けます。わたしはここにいる。わたしはここにいる。朝も昼も晩も、主なる神ご自身が呼ばわり続けます。」と金田牧師は結ばれる。

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エレミヤ書 2章9~19節 [旧約聖書 エレミヤ書]

<「まことに、わが民は二つの悪を行った。生ける水の源であるわたしを捨てて、無用の水溜めを掘った。水をためることのできない、壊れた水溜めを。」(13節)>

「イスラエルは奴隷なのか。家に生まれた僕であろうか。それなのに、どうして捕らわれの身になったのか。(14節)」と主は問いかけられる。

「主を恐れることがあなたがたの内にないからであり、主に仕えることを拒み、主を捨てたからではないのかと。その通りです。私たち自身の悪事が私を懲らしめ、私たち自身の背信が私たちを責め立てます。主なる神を捨てることの悪しく、かつ苦いことを、私たちは味わい知らねばなりません。すぐに干上がってしまう苦い水をすすりながら。」と金田牧師は、今を生きる者に置き換えて説かれる。

ユダの王ヨシヤは8歳で王となり31年間王位にあった。「彼は主の目に適う正しいことを行い、父祖ダビデの道を歩み、右にも左にも逸れなかった」と聖書は記す。彼の最後はこうである。エジプトの王がユーフラテス川の近くの町を攻めようと上ってきた時、彼はこれを迎え討つために出陣した。

エジプト王は、これは貴国に対して攻撃するのではなく、この町を急ぎ滅ぼすようにと神に命じられた、「私と共にいる神に逆らわずにいなさい。さもなければ、神はあなたを滅ぼされる」と言った。しかし、ヨシヤは引き返さず攻撃のために変装し戦いに臨み、矢に打たれ戦死した。(歴代誌下)

エジプト王の言った「私と共にいる神」というのは、ユダの王の神だったのか。聖書は「ヨシヤは神の口から出たネコ(エジプト王の名)の言葉を聞かなかった」と記している。ヨシヤの死後、その子ヨアハズが選ばれたが、3ヶ月間王位に着くと、エジプト王は彼を退位させ、エジプトに連行し、科料を徴収し、ヨアハズの兄弟をヨヤキムと改名させ、王位につけた。

弱体化したアッシリアを見て、エジプトはすかさずユダを手中に治めようとした。ヨシヤの死後、ヨアハズ王(609年の3ヵ月間在位)、ヨヤキム王(609~598年在位)、ヨヤキン王(598年の3ヶ月間在位)、ゼデキヤ王(598~587年在位)。とユダの王は次々と変わる。その誰もが「彼は自分の神、主の目に悪とされることを行った」と記される。そして、586年のエルサレム陥落に流れてゆく。

「ナイルの水を飲もうとする。ユーフラテスの水を飲もうとする」大国に挟まれながら、生きる術として彼らは神が共にいて下さることを忘れ、大国に妥協する道を選ぼうとした。

先日聞いた神学講演会で、じっくり調べる姿勢を持つことが大切だと教わった。「料理を原材料の味付けから始めて作り上げる醍醐味を知ることにもたとえられる聖書の読み方を身に着けてほしい。冷凍食品をチンして温めるようなマニュアル信仰から脱却し、自ら主体的に聖書に聞き、今を生きる自分が御心を深く求める姿勢を確立していただきたい」とS牧師が話された。

「御言葉の意味を、どのように受けるのかに、集中しがちであるが、御子キリストに倣って、御言葉を受けた自分がそれを宣べ伝えることもしっかりと目的として据える学びでありたい。」と続けられた。

「宣べ伝える」。これがうまくいかない。祈りと学びが不足しているということだろう。

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エレミヤ書 3章6~12節 [旧約聖書 エレミヤ書]

<背信の女イスラエルが姦淫したのを見て、わたしは彼女を離別し、離縁状を渡した。しかし、裏切りの女であるその姉妹ユダは恐れるどころか、その淫行を続けた。(8節)>

「神の民と神ご自身との愛の関係は、しばしば恋人同士や夫婦のイメージで語られました。固く節操を守って添い遂げると誓ったはずの関係が破たんし、妻(イスラエル)が他の男性たちと(異教の神々)の不品行を繰り返す。けれどその妻を愛することを諦めきれない熱情の夫(神)は『わたしの所に戻って来なさい。もう一度やり直そう』と呼ばわり、捜し求め続ける」と金田牧師は書き出される。

神の民の背信と裏切りが「姦淫」とされる。BC722年、北イスラエルの首都サマリアは陥落した。陥落はこうであった。ホシュアがサマリアでイスラエルの王となり、9年間王位にあった。彼は主の目に悪とされることを行ったが、彼以前のイスラエルの王たちほどではなかった。アッシリア王が攻め上ってきたとき、ホシュアは彼に服従して貢物を治めた。

しかし、アッシリア王はホシュアがエジプト王に通じているのを知ると、彼を投獄した。アッシリアはサマリアに攻め上り、3年間これを包囲し、サマリアを占領し、イスラエル人をアッシリアに連行した。「こうなったのは、…彼らはどの小高い丘にも石柱やアシュラ像を立て、香を炊き、主が『このようなことをしてはならない』と言われた偶像に仕えたのである」と列王記は記す。

サマリアが陥落したのは、ユダの王ヒゼキヤ(716~687年)の治世6年目であった。彼は「その後のユダのすべての王の中で彼のような王はなかった。彼は主を固く信頼し、主に背いて離れ去ることなく、主がモーセに授けられた戒めを守った。」と評価されている。彼の治世14年目にアッシリアが攻め上ってきた。

アッシリアの大部隊はエルサレムを取り囲み「ヒゼキヤはお前たちに、主が必ず救い出してくださる。決してこの都がアッシリア王の手に渡されることはないと言って、主により頼ませようとしているが…国々のすべての神々の内、どの神が自分の国を我々の手から救い出したか。それでも主はエルサレムを我々の手から救い出すというのか」と民に向かって大声で叫んだ。

主はヒゼキヤの祈りに「彼らがわたしを冒涜する言葉を聞いても、恐れてはならない。見よ、わたしは彼の中に霊を送り…彼はその地で剣にかけられて倒される。」と答えられた。その後。アッシリア全軍と王の死が列王記下19章に記される。

北イスラエルの壊滅を見たヒゼキヤとその後の王には、大きな危機感の違いがあったのだろうか。王たちは歴史を顧みることなく、アッシリア文明から感化され、それを楽しみ、異教の神々を拝する中で失われてゆくものを知ることが出来なかった。サマリア陥落後、130年を経てエルサレムも陥落した。

私たちの国も、戦争について歴史を学ばなければならない。また原発事故についても、電気の使い方について国中の者が反省するところから始めなければならない。

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エレミヤ書 3章19~25節 [旧約聖書 エレミヤ書]

<我々は恥の中に横たわり、辱めに覆われています。我々は主なる神に罪をおかしました。我々も先祖も、若いときから今日に至るまで、主なる神の御声に聞き従いませんでした。(25節)>

「『先祖が罪を犯し、主の声に聞き従わなかったから』ではなく『我々と先祖が…』この気づきがいつも肝心要です。例えば、過越の祭りに集う彼らの心得も同様で『神は、先祖とわたしたちを救い出し』『先祖とわたしたちは、葦の海を渡り』と繰り返されます。救いを自分自身の事として受け止めるためです。」と金田牧師は書き出される。

先日、創世記の書き記された時代についての話をS牧師から教えて頂いた。「わたしの示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたを高める」と召命を受け、約束の地、乳と密が流れる地を目指して旅立ったアブラハムの時代はBC1600年頃。

しかし、そのことが言葉として記され、編纂事業がなされたのは、BC600年頃。ユダの国が崩壊し、民が捕囚としてバビロンに連行され屈辱と蔑みの中にあった時だった。どの時代にも、そのような憂き目に遭い壊滅した国や民族は多くいる。その中で、イスラエル民族は、民族生き残りの作業として、国の出自をはっきりと記し、苦難の中にいる人々にアイデンティティを示した。

とはいえ、紙があるわけでもなく、大部分の人は文字を知らず、特定の人しかそれを読むことはなかっただろう。だから、多くは口伝えによって継承されていった。今はこのような奴隷状態だけれども、こうして神が我々の先祖にたしかに約束して下さっているのだと。そのことは、彼らを奮い立たせ、彼らの生きる希望につながったことだろう。言葉の持つ力を教えられた。

参考までに、「アッシリア帝国」は、メソポタミア(現イラク)北部の地域に興った王国(BC約900年)。南側はバビロニアと隣接し、チグリス、ユーフラテス川の上流域を中心に栄え、後にメソポタミアと古代エジプトを含む世界帝国を築いた。

しかし、軍事力による支配はやがて諸民族の反発を生み、そのためにさらに軍備を増強し国力が消耗していった。アッシリアの衰退によって、新バビロニア、メディア、エジプトなど周辺諸国が台頭していった。そして、BC612年、新バビロニアとメディアの連合軍によって、帝国は滅亡した。
 
新バビロニア(バビロン)は、BC625年メソポタミアに建国された。エジプトとの戦いが続く中、606年ネブカドネザル2世が即位。エジプト軍を撃退し、ユダを二度攻撃の後、滅ぼし多くの民をバビロンに連行した。その後4人の王が続くが、神官が力を持ち、政治が不安定になる。539年、ペルシアよって無血入城され滅亡する。

栄枯盛衰は平家物語だけではない。アッシリア帝国は300年、バビロンは100年足らず、繁栄を謳歌したものの、滅亡し、現在は砂の中に埋まってしまっている。

ユダヤの信仰だけが今も生き生きと継がれていく。永遠の命とは何かということをまた思い起こす。

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エレミヤ書 16章10~13節 [旧約聖書 エレミヤ書]

<「お前たちは先祖よりも、さらに重い悪を行った。おのおのそのかたくなで悪い心に従って歩み、わたしに聞き従わなかった。わたしは、お前たちをこの地から、お前たちの先祖も知らなかった地へ追放する。お前たちは、そのところで昼も夜も他の神々に仕えるがよい。もはやわたしは、お前たちに恩恵を施さない。」(12.13節)>

16章は、「あなたはこのところで妻をめとってはならない。息子や娘を得てはならない」というエレミヤに臨んだ主の言葉から始まる。なぜならば、ユダの地に住む者は、やがて弱り果て、剣と飢饉によって、嘆く者も葬る者もなく死に、鳥や獣の餌食となり、土の肥やしになると言葉が続けられる。

「やがて間もなく災いが神の民に及び、彼らは苦難の中に据え置かれます。その告知と共にエレミヤは『災いの理由をも民に告げ知らせよ』と主から命じられます。彼らの先祖の罪が指摘され、けれどそればかりではなく、『お前たち自身の罪』、こそが問題だとされます。」と金田牧師は説かれる。

偽預言者たちは人々に「お前たちは剣を見ることなく、飢饉がお前たちに臨むこともない。わたしは確かな平和を、このところでお前たちに与えると主は言われる。」と言った。人々は彼らの言葉を喜んで受け入れていたが、主は「わたしは彼らを遣わしていない。彼らは偽りの預言、空しい呪術、欺く心によって人々に預言しているのだ」と言われた。

主は人々に「わたしの目は夜も昼も涙を流し、とどまることがない。娘なるわが民は破滅し、その傷はあまりにも重い。野に出て見れば、見よ、剣に刺された者、町に入ってみれば見よ、飢えに苦しむ者。預言者も祭司も見知らぬ地にさまよって行く。」と伝えるようにとエレミヤに命じられる。

エレミヤは主に「あなたはユダを退けられたのか。シオン(エルサレム)をいとわれるのか。なぜ、我々を打ち、癒しては下さらないのか。平和を望んでも、幸いはなく、癒しの時を望んでも、見よ、恐怖のみ。…我々を見捨てないでください。…我々と結んだ契約を心に留め、それを破らないでください。…」と悲痛な祈りを主に捧げる。

町に出て、野に出てエレミヤが告げる主の言葉は、人々にとって聞き心地の良いものではなかった。彼らにとって北イスラエル王国の崩壊は他所事であり、エレミヤの言葉は縁起の悪いものであった。

エレミヤは、自分が諍いの絶えぬ男とされ、誰からも呪われていると嘆きながら、「主よ、わたしを思い起こし、わたしを顧み、わたしを迫害する者に復讐してください。…わたしがあなたのゆえに、辱めに耐えているのを知ってください。・・・」と祈る言葉に主は「彼らはあなたに戦いを挑むが、勝つことは出来ない。わたしがあなたと共にいて助け、あなたを救い出す」と言われる。

エレミヤの嘆きは、キリスト教徒の少ない中で伝道することが求められる私達の嘆きでもある。だから、愚痴を並べるような祈りでも、主が耳を傾け「わたしがあなたと共に」と答えて下さると励まされた。

先日、国家の安泰を願って多くの国会議員が靖国神社参拝をした。その報道を受けて私たちの国の民は本当に「これで平安が与えられた」と信じた、とでもいうのだろうか。

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