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ルツ記 1章1~7節 [旧約聖書 ルツ記 ]

<士師が世を治めていたころ、飢饉が国を襲ったので、ある人が妻と二人の息子を連れて、ユダのベツレヘムからモアブの野に移り住んだ。(1節)>

「ルツ記」の成立については、「ルツ記」は元々「士師記」の一部であったとされ、用いられている言語からも、「士師記」と類似していると言われている。また、一方、その内容から「ルツ記」は、ペルシャの支配下(紀元前539年)の時代に成立したという説もある。

「ルツ記」は非ユダヤ人との婚姻に好意的であるが、祭司エズラがユダヤ人の純粋性を回復しようと、非ユダヤ人との婚姻を解消させるための政策を取った事への反論だとする説がある。

「ルツは、異邦人でもあるモアブ出身の女性、夫ボアズはというと、名君と言われたイスラエル第二代目の王で、ダビデ王朝の開祖となったダビデ王の曾祖父にあたる人物です。通常ならば、起こるはずのない結婚が成立したのですから、実に不思議な話です。」と6月の家庭礼拝歴担当、北海道中会無任所教師、三輪恭嗣牧師は書き出される。

そして「どうしてこのような出会いが起こったのか、その不思議な話を記したのが、他ならないルツ記なのです。

事の起こりは、飢饉が国を襲ったからでした。エリメレクは妻のナオミと二人の息子マフロンとキルヨンを伴って、ユダのベツレヘムから、死海の東岸に位置するモアブの地に移り住みました。彼らにとってそれは辛い決断だったかと思われますが、食べ物がなくては、どうしようもありません。」と続けられる。

「夫エリメレクは、ナオミと二人の息子を残して死んだ。息子たちはその後、モアブの女を妻とした。一人はオルバ、もう一人はルツといった。十年ほどそこに暮らしたが、マフロンとキルヨンの二人も死に、ナオミは夫と二人の息子に先立たれ、一人残された。(4.5節)」

ナオミは、ベツレヘムの飢饉が去ったということを聞き、住み慣れたモアブの野を去って、国に帰ることにした。2人の嫁も同行した。

故郷を離れ、夫を亡くし子供まで失ってしまう。このような悲劇はナオミだけの特別なことではなかっただろう。ナオミにはまだ故郷に戻る体力や、やり直そうという気力が残っていたのだろう。

帰郷の決意。「でもこの決断が、思いがけない未来へとつながって行くのです。偶然と思われる出来事の中に、既に、神の隠された御手が働き始めたのです。」と三輪牧師は結ばれる。

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ルツ記 1章7~13節 [旧約聖書 ルツ記 ]

<「あなたたちは死んだ息子にもわたしにもよく尽くしてくれた。どうか主がそれに報い、あなたたちに慈しみを垂れてくださいますように。」(8節)>

ナオミの故郷ユダに帰る道すがら、彼女は二人の嫁に、自分の里に帰るようにと勧めた。けれども、二人は声を上げて泣いて「いいえ、ご一緒にあなたの民のもとへ帰ります。」と言った。

「いよいよ別れの時が来ました。しかし、二人の嫁は姑のナオミのそばを離れようとはしません。ナオミは、二人が当時の結婚制度に強いこだわりを持っているせいだと誤解します。それは、子をなさぬまま夫に先立たれた妻は、義弟と再婚し、生まれた子を亡き夫の子と定め、家名と嗣業を継がせる制度です。」と三輪牧師は書き出される。

二人が自分のもとを離れようとしないのでナオミは「どうしてついて来るのですか、あなたたちの夫になるような子供が私の胎内にまだいるとでも思っているのですか。(11節)」と、彼女たちに故郷に帰って再出発を考えることを促した。

オルパはナオミの言葉に従って去っていったが、ルツは離れようとしなかった。当時の女性は結婚して子供を持つことこそ幸いとされていた。子供は女性に幸福と扶養を約束するからである。ルツは姑のためにこの可能性を捨てた。

オルパと一緒に行くようにというナオミにルツは「あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰れなどと、そんなひどいことを強いないでください。…あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神、あなたの亡くなるところで私も死に、そこに葬られたいのです。…(16.17節)」と言った。

「ルツは、エリメレク家に嫁いだ時、その家の宗教を受け入れることは当然の務めと考え、イスラエルの主なる神ヤハウェ信仰を受け入れたものと想像されます。受け入れた後、その宗教は、彼女が幼い時から馴染んできた祖国モアブの宗教とは大いに異なり、際立って倫理性の高い宗教であることに目を見張ったに違いありません。」と三輪牧師は説かれている。

モアブ人は、ケモシュを自分たちの守り神として拝んでいた。その礼拝には淫らな行為が伴い、人身御供さえ行われていた。ルツにとってヤハウェ信仰は、最初は義理で入ったものだったが、ナオミの導きもありなくてならないものになった。

「次第に彼女の霊感は研ぎ澄まされ、姑のナオミに最後の決断を迫られた時、彼女は迷うことなくナオミと共にヤハウェ信仰に生きる道を選ぶのです。」と三輪牧師は説かれる。

先日96歳で亡くなられたYさんは、ノンクリスチャンのご主人を仏式の葬儀で送られたことを悔やんでおられた。3人の娘さんたちに「家を継ぐことはない。お父さんの位牌はわたしの棺の中に入れて一緒に火葬するように。」と遺言され、娘さんたちはその通りにされた。

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ルツ記 1章19~22節 [旧約聖書 ルツ記 ]

<「どうか、ナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください。全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです。」(20節)>

「久々に郷里ベツレヘムに戻ったナオミを、町の人々は、以前と少しも変わらず、温かく迎えてくれました。ナオミは人々の思い掛けないこの温かな歓迎に、つい、張り詰めていた今までの心の緊張が解けてしまったのか、思わず苦しい胸の内を打ち明けてしまいます。」と三輪牧師は書き出される。

21節は「出て行くときは、満たされていた私を、主はうつろにして帰らせたのです。なぜ、快い(ナオミ)などと呼ぶのですか、主が私を悩ませ、全能者が私を不幸に落とされたのに。」今日の個所は「うつろな帰国」と題が付けられ、その通りナオミの不満が並ぶ。

ベツレヘムを襲った飢饉で、他国に移住するという夫に従い二人の息子を連れて異教の国で生活することになった。やっとその地に慣れたころ、夫が亡くなり、続いて二人の息子まで失くしてしまった。彼女は、この現実を主の御手による裁きと受け止めた。

こんな有様になった私を「なぜ、快い(ナオミ)と呼びかけるのか」と人々に言う言葉はそのまま「主よ、なぜあなたはわたしをこのような不幸に落とされたのですか」と、主に抗議する言葉に重なる。

先日のペンテコステの伝道礼拝は、K牧師をお迎えした。「ステファノの殉教」と題された説教で、「なぜ、主を愛し主に従って生きたステファノが、人々に石を投げつけられて無残な死を遂げなければならなかったのでしょうか。」と会衆に問われた。

K牧師は日本キリスト教会の神学校を卒業された韓国人の牧師である。ペンテコステに聖霊が与えられ、ぺトロや弟子たちの語る福音を、一日の内に3千人もの人々が受け入れ洗礼を受けた。その数はどんどん膨れ上がっていった。

けれど、数が増えるに伴い福音の内実が空疎なものになり、人々は自分たちだけの信仰に満足し、主が望まれた「地の果てまでの宣教」をしなくなった。けれど、ステファノの殉教によって、エルサレムの教会に対する迫害が起こり、皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行くことになった。

それは、人々にとっては苦難の始まりではあったけれど、その結果、福音は世界の果てにまで告げ知らされてゆくことになる。ステファノの殉教はそういうことだと説かれた。

「しかし」と言葉を続けられ、「無残に殺されたステファノは、幸福な生涯であったと言えるのだろうか。」と問いかけられた。今日のブログではそれを記す紙面がないので、後日に。

どんどん痩せて行く私たちの教会、受洗者が増え続けどんどん大きくなる韓国の教会、どちらの教会にも主は課題を与えておられるのだと説教から教えて頂いた。

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ルツ記 2章1~3節 [旧約聖書 ルツ記 ]

<ルツは出かけて行き、刈り入れをする農夫たちの後について畑で落ち穂を拾ったが、そこはたまたまエリメレクの一族のボアズが所有する畑地であった。(3節)>

「…満たされていたわたしを、主はうつろにして帰らせたのです。…」と嘆いていてナオミだったが、「この時すでに、素晴らしい助け手であるルツを備えて下さっていました。神のなさることは手抜かりがないのです。」と昨日の個所を三輪牧師は結ばれていた。

ベツレヘムに帰ったものの、二人はこれからどう生計を立てて行けばよいか途方にくれていた。丁度そのころ、大麦の収穫があちこちで行われていた。大麦は小麦の収穫に先立って現在の5月前後に始まる。ルツはナオミに「畑に行ってみます」と申し出た。

「畑で穀物を刈り入れる時、一束畑に忘れても、取りに戻ってはならない。それは、寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい。こうしてあなたの手の業すべてについて、あなたの神、主はあなたを祝福される。…あなたはエジプトの国で奴隷であったことを思い起こしなさい。わたしはそれゆえ、あなたにこのことを行うように命じるのである。(申命記24章)」

モーセの律法では、生活基盤を持たない寄留者や寡婦、孤児が落ち穂を拾って生計を立てることが認められていた。イスラエルもエジプトで苦難を味わったのだから、今苦難にある者を助けることが求められていた。

「寡婦や孤児はすべて苦しめてはならない。もし、あなたが彼を苦しめ、彼が私に向かって叫ぶ場合は、私は必ずその叫びを聞く。そして、わたしの怒りは燃え上がり、あなたたちを剣で殺す。あなたたちの妻は寡婦となり、子供らは孤児となる。(出エジプト22章)」

それは慈善ではない。今の平安は主の恵みによるものであり、困窮の人に手を閉ざすなとの主の命令である。モーセがシナイ山で律法を授かったのは紀元前1290年頃、「社会福祉」はすでに主が命じられていたことであった。

ナオミの夫エリメレクの一族には一人の有力な親戚がいて、その名をボアズといった。ルツが刈り入れをする農夫たちの後について落ち穂を拾い始めたが、そこはたまたまボアズの所有する畑地であった。

ベツレヘムはナオミにとっては懐かしい故郷だったが、ルツには全く馴染みのない土地であった。ナオミを通してある程度理解はしていても、風習も言葉も理解し難いこともあったに違いない。落ち穂拾いは、生計を立てるための、彼女ができる唯一の労働だったのだろう。

夫も子も亡くしてしまったナオミも辛いことだったが、ルツは夫も、子供を持つ機会もなくなり、その上故郷の人々と会う希望もない。ナオミの信仰に触れたからだと結論付けなければいけないが、どうしてここまでして姑に尽くすのかと思ってしまう。

クリスチャンを父に持つルツという名の友人は、両親からこの名の由来を聞かされていたが、それが重荷で反抗ばかりして、いまもこの通りと、離婚した後、苦笑いしていた。

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ルツ記 2章4~9節 [旧約聖書 ルツ記 ]

<あの人は、・・・モアブの娘です。『刈り入れをする人達の後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください』と願い出て、朝から今までずっと立ち通しで働いておりましたが、いま、小屋で一息入れているところです。」(6.7節)>

「ボアズ自身は町中に住み、畑の管理や農夫の監督は召使に任せていました。しかし、時に畑の見回りに来ることもあり、特にこの時期は、大麦の刈り入れが始まったばかりでしたから、気になったのでしょう。」と三輪牧師は書き出される。

ルツは何も知らずに行ったところが、「たまたま」ボアズの畑だった。2章のカギとなる言葉はこの「たまたま(図らずも)」という言葉だと解説されている。彼女が意図して行ったのではなく、主が彼女をそこに導いて下さったのだと。

彼女のように、神との人格的関係、個人的な関係を第一とするとき、神は同じように個々の生活に人格的に関わられる。漫然と生きている人には、漠然としか神のことが分からないが、自分の心を神に広げれば広げるだけ、神はその報いとしてご自身を現わしてくださるのだと。

ベツレヘムからやって来て、畑の見回りをするボアズは農夫たちに「主があなたたちと共におられるように。」と言い、彼らは「主があなたを祝福して下さいますように」と応える。雇い主が主にあって祝福し、雇われ人が主にあって雇用者を祝福する。応答を通して、暖かい労働環境を感じる。

ボアズは働く人々の中に初めて見る女性が交じっているのを見て、召使に誰の娘かと尋ねた。召使は、彼女がナオミの亡くなった息子の嫁であることを告げ、彼女が朝から今までずっと立ち通しで働き、今やっと小屋で休息をしていますと答えた。

ボアズはルツに「わたしの娘よ、よく聞きなさい」と声をかけた。その一つは安全について、若い女性が凌辱されることは日常の出来事であったので、他所の畑に行かないようにと注意し、若いものには邪魔をしないように命じると言った。そして次に喉が乾いたら、若者が汲んだ水を飲むようにと言った。水を汲み上げるには力が必要だったからである。

ルツ記にはモデルがあったらしい。「有能な妻を見出すのは誰か。真珠よりはるかに貴い妻を。…力と気品をまとい、未来に微笑みかける。口を開いて知恵の言葉を語り、慈しみの教えをその舌にのせる。息子らは立って彼女を幸いな人と呼び、夫は彼女をたたえて言う。『有能な女は多いが、あなたはなおその全てにまさる』と。(箴言31章)」

そして「あでやかさは欺き、美しさは空しい。主を畏れる女こそたたえられる。」が続く。なのに、なぜかこの物語を説いたり、耳を傾ける者は「きれいな女性」をイメージしてしまう。

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