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ルツ記 2章10~13節 [旧約聖書 ルツ記 ]

<「イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れてきたあなたに十分報いてくださるように。」(12節)>

ボアズの言葉に、ルツは顔を地につけ、ひれ伏した。そして、異邦人である自分をどうしてこのように親切にして頂けるのかと尋ねた。ボアズは彼女が姑ナオミに尽くし、両親と故郷を捨てて、見知らぬ国に来たことなど「何もかも伝え聞いている」と答えた。

「ナオミとボアズは親戚関係で、しかも彼は町の有力者でした。帰国したばかりで、しかも働き手を失っているのですから、ナオミは最初から彼を頼ってもよかったのです。でも彼女はそうしなかったのです。そうすれば、対等な人間関係が崩れ、上下関係が生まれることをナオミは知っていました。」と三輪牧師は書き出される。

ルツは、自分がボアズの雇人でもないのに、彼に話しかけられ、彼女のしたことを彼がすべて知っていたので驚いた。そして彼が「イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れてきたあなたに十分報いてくださるように。」と、彼女を主の御名によって祝福したことにも驚いた。

今の、ルツとナオミにとって最も必要なのは確かな守り、確たる屋根の下であった。ボアズは彼女たちの事を見抜き、主がその御翼のもとに逃れてきたあなたに十分報いてくださると告げた。ルツは平安な生活を犠牲にしてベツレヘムに来たが、ボアズを通してそれを補うに余りある平安が与えられた。

「私たちは何かを犠牲にするとそれを失うと思いがちです。主に自分を献げることは、すべてを失うと思ってしまいます。けれども、主は永遠の命という報いだけでなく、この地上においても失われたものを補って報いて下さいます。」と解説書は説く。

ボアズが口にしたルツへの言動は、ボアズ自身が主なる神の働きによってルツの行動に心動かされ、彼の中に主ご自身の守りと養いが与えられた結果であった。彼の言動に表れているのは、まさに主ご自身であった。

「神は御心のままに、あなたがたの内に働いて志を立てさせ、事を行わせて下さるのです。」とパウロもフィリピ書2章で語っている。

ボアズの言葉にルツは「わたしの主よ、どうぞこれからも厚意を示して下さいますように。あなたのはしための一人にも及ばぬこのわたしですのに、心に触れる言葉をかけていただいて、本当に慰められました。」と卑屈になることなく素直に感謝した。

「困窮する時、人を頼らず、まず御翼のもとに逃れ、今、自分にできる最善のことに力を尽くす。これこそ新しい道を切り開く最良の方法であることを、ここから学びたいと思います。」と三輪牧師は結ばれる。

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ルツ記 2章14~18節 [旧約聖書 ルツ記 ]

<ルツはこうして日が暮れるまで畑で落ち穂を拾い集めた。集めた穂を打って取れた大麦は一エファほどにもなった。(17節)>

食事の時、ボアズはルツに「こちらに来て、パンを少し食べなさい。一切れずつ酢に浸して。」と声をかけた。そして、農夫たちの側に腰を下ろしたルツに炒り麦をつかんで与えた。ボアズはルツだけでなく、ナオミにも配慮した。多く与えれば、その残りをルツが持って帰るだろうと思ったからだ。

ルツが再び落ち穂拾いを始めようとすると、ボアズは若者たちに「麦束の間でもあの娘に拾わせるがよい。止めてはならぬ。それだけではなく、刈り取った束から穂を抜いて落としておくのだ。あの娘がそれを拾うのを止めてはならぬ。」と命じた。

ボアズは彼女の尊厳に、女性としての尊厳に気を使っていた。わざと穂を拾い集めるように振り落としなさいとまで言っている。それならば、初めから彼女に穂を分け与えればいいのにと思うが、彼は彼女に恥をかかせないためそうしなかった。彼女の労働の対価として、持って帰るべきだと思ったからだ。

解説書は「ボアズの言動には非の打ちどころがありません。まさに、理想的な男性です。しかし、そうして感心するだけの話で終わらせたら、ルツ記にある神のメッセージの半分しか受け取れないことになるでしょう。」と説かれる。

日の暮れるまで働いたルツが集めた落ち穂は、それを打つと一エファ(23ℓ)にもなった。一日の収穫量としては大変な量であった。ナオミとの生活を賄うには過分な量であった。

「姑がルツに、『今日は一体どこで落ち穂を拾い集めたのですか。あなたに目をかけて下さった方に祝福がありますように』というと、ルツは誰のところで働いたかを姑に報告して言った。『今日働かせて下さった方は名をボアズといっておられました』

ナオミは嫁に言った。『どうか、生きている人にも死んだ人にも慈しみを惜しまれない主が、その人を祝福して下さるように。その人はわたしたちと縁続きの人です。わたしたちの家を絶やさないようにする責任のある人の一人です』(19~20節)」

ベツレヘムに飢饉が襲い、ナオミの夫エリメレクはやむを得ず、先祖からの土地を売ってモアブの地に移り住んだ。それで、帰郷したもののナオミには土地がなかった。

しかし、イスラエルの律法は、貧しいからという理由で土地を失うことが決してあってはならないという意思から、兄弟が万一土地を売ってしまったら、近親者がそれを買い戻さなければならないと定められた「買い戻しの権利」があった。(レビ記25章)

無一物の二人でしたが、「潔くこの世の宝を捨てる時、思いがけず、この世の宝にも恵まれる、ということが事実起こるのです。」と三輪牧師は結ばれている。

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ルツ記 3章1~4節 [旧約聖書 ルツ記 ]

<わたしの娘よ、わたしはあなたが幸せになる落ち着き先を探してきました。あなたが一緒に働いてきた女たちの雇い主ボアズはわたしたちの親戚です。あの人は今晩、麦打ち場で大麦をふるい分けるそうです。(1.2節)>

N牧師は「ボアズがルツに目を留めた一連の行為には、主イエスが私たちに目を留めておられる姿が表れています。主イエスはご自分を主として決心した者を必ず見捨てることなく、御恵みをもって報いてくださるのです。まず、主イエスが私たちの近親者となって下さるのです。そして、近づいて声をかけて下さるのです。」とルツ記を説かれた。

最初に声をかけたのはボアズであった。私たちの方から先に神を愛したのではなく、神が私たちを愛して下さり、御子を罪の供え物とされた。ルツは異邦人であったのと同じように、私たちも異邦人であった。極東の島に住む私たちにも、やさしく声がかけられている。

と言われてN牧師は、ボアズはルツが落ち穂拾いに、わざと穂が落ちるように手配しているがこれこそ神の恵みの業だと言われた。我々は、自分の一生懸命に主が祝福を与えて下さると勘違いするがそれは大間違いで、我々が主に仕えることができるように、主はあえて良きものを予め備えて下さっているのだと。

そして「どうか、罠に陥らないでください。自分が行った事、行わなかったことでくよくよしないで下さい。それらを自分の行為によるものだとしないことです。自分が蒔いたものは刈り取りますが、私たちの思いに先立って神はご自分の真実を私たちに示されるのです。私たちの意に関わらずです。その神の祝福を『恵み』と呼びます。」と語られた。

大麦の刈り入れの次は小麦の刈り入れ、大麦の初穂は過越の祭りの3日目に、それから50日後の五旬節に、小麦の初穂を主に捧げる。彼女たちは、2ヶ月間ほどボアズの畑で落ち穂拾いをした。

ボアズが大麦をふるい分ける日、ナオミはルツに「わたしの娘よ、わたしはあなたが幸せになる落ち着き先を探してきました。…」と言った。ナオミはかつて夫を亡くした2人の嫁に「どうか、主がそれぞれに新しい嫁ぎ先を与え、あなたたちが安らぎを得られますように(1:9節)」と言っている。

夫を得ることが「安息を得るところ、守られて、養われ、愛されるところ、幸せになる落ち着き先。」だとナオミは言った。電気もなく石油もない、ずっとずっと昔の生活、男も女も子供も年寄りも誰も独居生活なんて出来ない時代であるから、その言葉は仕方がない。

ルツは彼女の身を真剣に考えてくれるナオミに深い愛を感じ、黙って耳を傾けた。異邦人モアブの女性をボアズが結婚相手と考えるのは、余程の事がないと考えられないことであった。ルツもまたナオミと生きる道を選んだ以上、結婚を考えていなかったかもしれない。

「体を洗って香油を塗り、肩掛けを羽織って麦打ち場に下っていきなさい。ただあの人が食事を済ませ、飲み終わるまで気づかれないようにしなさい。」とナオミは命じる。

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ルツ記 3章5~9節 [旧約聖書 ルツ記 ]

<ルツは答えた。「わたしはあなたのはしためルツです。どうぞあなたの衣の裾を広げて、このはしためを覆ってください。あなたは家を絶やさぬ責任のあるかたです。」(9節)>

「ルツはナオミの指示に従い、極めてきわどい行動に出ます。ルツの心に少しでも邪心があれば、ボアズのルツに対する思いはいっぺんに吹き飛んで、ボアズの心には嫌悪感さえ生じたかもしれません。」と三輪牧師は書き出される。

ナオミはボアズに求婚するようにルツに言いつけた。場所は大麦の打ち場、打ち場は、他の地面より少し高い所にあった。脱穀、聖書に出る表現の「殻と麦をふるい分ける」場所である。脱穀した後に、空中に持ち上げ、殻を風に飛ばした大麦を積み上げていく。その大麦が盗まれないように、ボアズがその傍で寝ることになっていた。

そこに、体を洗って、油を塗り、晴れ着をまとって行きなさいとナオミはルツに言いつけた。そして、「ボアズが休む時その場所を見届け、そばに行き、彼の衣の裾で身を覆って横になりなさい。・・・」と言った。

ルツは「言われる通りにいたします」と言い、麦打ち場に行き、ナオミに命じられた通りにした。「夜半になってボアズは寒気がし、手探りで覆いを捜した。見ると、ひとりの女が足元に寝ていた。『お前は誰だ』とボアズが言うと、ルツは答えた。(8節)」

酔いつぶれて眠ってしまったボアズの驚く様子が面白い。ルツは答えた。「わたしはあなたのはしためルツです。どうぞあなたの衣の裾を広げて、このはしためを覆ってください。あなたは家を絶やさぬ責任のあるかたです。(9節)」

解説書によると、この個所の「衣の裾を広げて、このはしためを覆ってください。」の「覆う」と、2章12節の「主がその御翼のもとに逃れきたあなたに十分に報いてくださいますように」の「御翼のもとに逃れ」は同じヘブル語が使われている。

だから、ボアズがルツに送った祝福の言葉を用いてルツはボアズに対して「あなたを通してその祈りがかなえられますように」と求婚したことになる。のではないかと説いている。

それにしても、ナオミの強引さに圧倒されてしまう。ボアズの財産を見て彼女が判断したのだろうか。彼に妻子がいたのではないだろうかとあれこれ詮索してしまう。

けれどナオミは、主を信じる人であり、異邦人の息子の妻たちにも信仰を通していい姑であったに違いない。彼女はまたよく祈り、祈りの中から主の導きに従って行動を起こしていた。ボアズの財産とか家族とかは、神のご計画の前には何の意味もないと彼女は知っていたのだ。

ボアズと結婚してほんとに幸福になるのだろうか、愛されるのだろうか・・・。なんて考えない。神に従うことが一番の幸福なんだから。

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ルツ記 3章10~15節 [旧約聖書 ルツ記 ]

<「確かにわたしも家を絶やさぬ責任のある人間ですが、実はわたし以上にその責任のある人がいる。」(12節)>

「…あなたは家を絶やさぬ責任のあるかたです。」というルツにボアズは答えた。「彼は没落したエリメレク家の再興の責任を担う親戚の一人であっても、その筆頭者ではなかった。彼は、筆頭者を差し置いてナンバー・ツーの自分が先走ることを慎んでいたのです。」と三輪牧師は書き出される。

けれども、その言葉に先立ってボアズは「わたしの娘よ。どうかあなたに主の祝福がありますように」と言った。解説書は「彼はルツが買い戻しの権利に従って動いていること、そのことが神の律法に適うことであることを理解し、そして主がこのことをなされていることをすぐに認めた。ナオミ同様、彼も主に満たされていた人であった。」と説いている。

彼はルツを「娘さん」と呼び、2人の年齢差を感じる。また「今、あなたが示した真心は、今までの真心よりも…」と「真心」、原語は「ヘセド(恵みを賜る)」という言葉が重なる。ルツが年齢によって、また感情的な思いから結婚を選ばなかったことを彼は評価した。それをも乗り越えて、真実は何かを主によって見極めようとする彼女の決意を感じた。

彼はルツに「心配しなくていい。きっとあなたが言うとおりにする。」と言った。ルツのボアズに対する求婚がいかに勇気のいることかを彼は知っていたので、彼女を褒めた。

ボアズは、買い戻しの権利を持つ人が「それを好まないなら、主は生きておられる。私が責任を果たします。さあ、朝まで休みなさい。」と言った。ボアズはルツの求婚に応えた。彼はベツレヘムの町の主だった人々から、彼女の良い評判を聞いていた。

ボアズはナンバー・ツーであったので、彼よりさらに近い親戚が、親戚の役目を果たし土地を買い戻すことになるかもしれない。そうなれば、ナオミもルツもその親戚のものになる。イスラエルの家を継ぐために考えられた法律だと思うが、窮屈な話だ。

その人がどんな人か、ルツは知らない。不安な心を持つ彼女に「主は生きておられる」とボアズは言った。主が御心に適った事を行われるのだから、最善の結果が出るに違いないと言った。

ボアズの足元で休んだルツが、夜明け前に麦打ち場を出ようとすると、ボアズが呼び止め、彼女が羽織って来た肩掛けの中に、大麦を六杯計ってルツに背負わせ、町へ戻って行った。

国中が同じ主なる神を礼拝するということは、相手のすることを神のお考えを通してみることができるからいいなとおもう。しかし、我々の国はつい先ごろまで誰もが、なんの根拠もなく天皇を神と仰ぐようにと命じられた苦い過去がある。

その二つは全く違う。イスラエルの神は人間ではない力で民を導いていかれる。そのことは、代々語り継がれ民の中に生きている。人間のために御子を献げられたお方である。人間と比較にならない。

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