So-net無料ブログ作成
検索選択

ルツ記 4章11~12節 [旧約聖書 ルツ記 ]

<「どうか、主がこの若い婦人によってあなたに子宝をお与えになり、タマルがユダのために産んだベレツの家のように、ご家庭が恵まれるように。」(12節)>

ボアズは、町の人々の前でルツを自分の妻としたことを宣言した。彼は「モアブの女」ルツがどこの出身かをはっきりと告げた。町の人々はそのことの「証人」となると言って祝福した。彼女はイスラエルの家の中に入れられた。

「モアブの女」と聞いて、親戚の人は「自分には出来かねる」と買い戻しの権利をボアズに譲った。彼の弱腰を非難してはならない。異教の神々を拝する人を自分の側に置くのは容易ではない。ボアズと違ってルツを知らない彼が、それは拒むのは肯けることだ。

ボアズの宣言を解説書は「ただ、キリスト・イエスの贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。(ローマ書3章)」と、異教の神々を礼拝していたモアブの女ルツは、イスラエルの律法には「罪びと」であったが、主は義と認められたのだと説いている。

また「しかし、不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰を義と認められる。(ローマ書4章)」と、ルツには罪がないと無罪宣告が与えられた。彼女の過去は帳消しとなり、イスラエルの民として歩む道が与えられたのだと説く。

人々は、ルツがヤコブの二人の妻ラケルとレアのようにされますようにと祝福した。ヤコブは後にその名をイスラエルと改めた。彼女たちによって12人の息子が与えられ、そしてイスラエル12部族の祖となった。マタイ書1章のダビデから主イエスに至る系図に、ルツとタマルの名が記されている。

ヤコブの子ユダの妻タマルは、ルツの境遇と似ている。ユダが異邦人カナンのところにいた時、夫に死に別れたタマルとユダの間に生まれた子供がベレツとゼラの双子であった。

「ユダ族の始祖ユダ自身が、異邦人との婚姻によって家系をつないでいたのです。何もボアズが初めてではないのです。ユダの場合は、あまりいい話ではありませんが、義父と嫁との間で双子がうまれました。

しかし、これすらも神は用いてユダ族を繫栄させて下さったのです。ならば、ボアズとルツを祝福して下さらないはずがありません。ボアズは人々の言葉を聞いて、一層神の祝福を確信したに違いありません。」と三輪牧師は結ばれる。

外国の人と家族を持つと様々な戸惑いがある。結婚にあたって「お祝い」が贈られた。日本人の彼が「お祝い返し」を考えているのをみて彼女が「それはおかしいでしょ」と言った。そう言われればそうだが、習慣だし…ともめた。結婚してからもいろいろあった。

そういうことを「面白い」と思う時と「ややこしい」と投げ出したくなる時がある。

日曜日はお近くの教会で礼拝を http://komatsu.church/index2.htmlどなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。

ルツ記 4章1~3節 [旧約聖書 ルツ記 ]

<ボアズが町の門のところに上って行って座ると、折よく、ボアズが話していた当の親戚の人が通り過ぎようとした。(1節)>

「ボアズは町に戻ると、ほとんど間髪を入れずに、行動を開始しました。ナオミの真意は確認されました。ルツの人となりに関しては、十分観察済みで、これには文句の付けようがありません。彼自身の腹は既に定まっているのです。」と三輪牧師は書き出される。

ボアズが上って行って座った「門」、旧約聖書の中で「門」が出てくると、それはそこの役所だと考えるようにと教わった。その時代の城壁の入り口の門にはいくつもの部屋があったことを今でも遺跡で確認できるらしい。

そこは行政手続きの場であった。そのためにボアズは、買い戻しの権威を持つ親戚と話をするにあたって、町の長老のうち10人を選びここでのこのやり取りを公的な手続きとした。

ボアズは買い戻しの権利を持つ親戚の人に、「ナオミが、わたしたちの一族エリメレクの所有する畑地を手放そうとしています。…もし、あなたに責任を果たすおつもりがあるのでしたら、この裁きの座にいる人々と民の長老たちの前で買い取って下さい。…」

親戚の人は「それでは、わたしがその責任を果たしましょう。」と答えた。彼の言葉にモアブは「あなたがナオミの手から畑地を買い取る時には、亡くなった息子の妻であるモアブの婦人ルツも引取らなければなりません。故人の名をその嗣業の土地に再興するためです。」と言った。

「親戚の人は『モアブの婦人』という言葉に、強い拒否反応を起こしたのでしょう。口には出しませんが、それは確かです。ボアズもそれを見越して、あえて『モアブの婦人』と言ったのでしょう。ボアズの作戦勝ちです。」と三輪牧師は説かれる。

「すると、親戚の人は言った。『そこまで責任を負うことは、わたしにはできかねます。それではわたしの嗣業を損なうことになります。親族としてわたしが果たすべき責任をあなたが果たしてくださいませんか。』(6節)」

彼は、贖いの責任を放棄し、それをボアズに譲渡したしるしとして、当時の習慣に従い、履いていた靴を脱ぎ、これをボアズに手渡した。

ボアズはそこで、長老とすべての民に、自分がエリメレク家の家産を贖う筆頭者になったことを宣言し、それと同時に「また、わたしはマフロンの妻であったモアブの婦人ルツも引取って妻とします」と言い放った。

ナオミとボアズの、賢明な判断とスピード感のある行動。「何事にも時があり、生まれる時、死ぬとき、・・・求める時、失う時、保つ時、放つとき、・・・黙する時、語る時・・・(コヘレトの言葉3章)」時を外しては、成るものも成らず、喜ばしいものも喜ばしいものとはならないと三輪牧師は説かれている。

せっかちな性格でたえず自分に拙速を戒め熟考を求めなければならない。「神の御心に任せなさい」との注意も受ける。しかし、時にはスピードがあってもいいらしい。

日曜日はお近くの教会で礼拝を http://komatsu.church/index2.htmlどなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。

ルツ記 3章16~18節 [旧約聖書 ルツ記 ]

<「わたしの娘よ、成り行きがはっきりするまでじっとしていなさい。あの人は、今日中に決着がつかなければ、落ち着かないでしょう。」(18節)>

ボアズは夜のうちは自分のところに寝かせた。なぜなら、女性の夜の一人歩きは何者かに襲われる危険があったからだ。けれども、日が昇ってしまったら、変な噂が立つ。彼女を守るために、まだ薄暗いうちに彼女を家に帰らせた。

その時に与えた大麦六杯は、30キロ近い重さだったろう。旧約聖書の時代の女性は、例えばリベカは水がめの水を駱駝10頭に飲ませたりとか、かなりな力持ちであった。30キロの大麦をルツは頭の上に乗せて帰ったと思われる。今でもアフリカ辺りの映像で目にする。

ルツが帰宅するとナオミは「娘よ、どうでしたか」と尋ねた。ルツはボアズがしてくれたことをもれなく伝えてから「この六杯の大麦は、あなたの姑のところへ手ぶらで返すわけにはいかないとおっしゃって、あの方が下さったのです。(17節)」と言った。

大麦六杯は、ナオミに対するメッセージである。彼はナオミに「わたしはあなたの嫁を妻にします。そして、あなたを扶養します。」ということをいっているのだと、解説書は説いている。

「ナオミは言った。『わたしの娘よ、成り行きがはっきりするまでじっとしていなさい。あの人は、今日中に決着がつかなければ、落ち着かないでしょう。』(18節)」ナオミは、ボアズがルツのために行動を起こすであろう彼の情熱をそこに見た。

「『善は急げ』とばかり、ボアズは直ちに行動を起こすに違いない。こんな場合、こちら側は下手に動くのは禁物、静かに結果を待つことこそ成功の秘訣と、ナオミはルツに、的確な指示を与えます。

彼女たちは、自分たちのやるべきことは、すべてやり尽くしたのです。後は神がそれを良しとし、用いて下さるかどうかです。だから、神の手に委ねて待つ以外ないのです。『戦いの日のために馬を備える。しかし、勝利は主による。(箴言21章)』事だからです。」と三輪牧師は結ばれる。

ナオミが信仰の人だというのは承知しないといけないが、それにしてももう少し恋愛じみたことがあったのかと思っていたのに味気ない。ナオミの計画通りことが運び、二人の、とりわけルツの感情が全くないのが寂しい。

時代は、生き残る手段として結婚は必要不可欠であった。互いが相手に求める条件は、生活力が第一であり、相手への感情、例えば「愛する心」などは軽く見られていたのだろうか。ルツが無条件にナオミに従う姿にどうしても馴染めないものが残る。

日曜日はお近くの教会で礼拝を http://komatsu.church/index2.htmlどなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。

ルツ記 3章10~15節 [旧約聖書 ルツ記 ]

<「確かにわたしも家を絶やさぬ責任のある人間ですが、実はわたし以上にその責任のある人がいる。」(12節)>

「…あなたは家を絶やさぬ責任のあるかたです。」というルツにボアズは答えた。「彼は没落したエリメレク家の再興の責任を担う親戚の一人であっても、その筆頭者ではなかった。彼は、筆頭者を差し置いてナンバー・ツーの自分が先走ることを慎んでいたのです。」と三輪牧師は書き出される。

けれども、その言葉に先立ってボアズは「わたしの娘よ。どうかあなたに主の祝福がありますように」と言った。解説書は「彼はルツが買い戻しの権利に従って動いていること、そのことが神の律法に適うことであることを理解し、そして主がこのことをなされていることをすぐに認めた。ナオミ同様、彼も主に満たされていた人であった。」と説いている。

彼はルツを「娘さん」と呼び、2人の年齢差を感じる。また「今、あなたが示した真心は、今までの真心よりも…」と「真心」、原語は「ヘセド(恵みを賜る)」という言葉が重なる。ルツが年齢によって、また感情的な思いから結婚を選ばなかったことを彼は評価した。それをも乗り越えて、真実は何かを主によって見極めようとする彼女の決意を感じた。

彼はルツに「心配しなくていい。きっとあなたが言うとおりにする。」と言った。ルツのボアズに対する求婚がいかに勇気のいることかを彼は知っていたので、彼女を褒めた。

ボアズは、買い戻しの権利を持つ人が「それを好まないなら、主は生きておられる。私が責任を果たします。さあ、朝まで休みなさい。」と言った。ボアズはルツの求婚に応えた。彼はベツレヘムの町の主だった人々から、彼女の良い評判を聞いていた。

ボアズはナンバー・ツーであったので、彼よりさらに近い親戚が、親戚の役目を果たし土地を買い戻すことになるかもしれない。そうなれば、ナオミもルツもその親戚のものになる。イスラエルの家を継ぐために考えられた法律だと思うが、窮屈な話だ。

その人がどんな人か、ルツは知らない。不安な心を持つ彼女に「主は生きておられる」とボアズは言った。主が御心に適った事を行われるのだから、最善の結果が出るに違いないと言った。

ボアズの足元で休んだルツが、夜明け前に麦打ち場を出ようとすると、ボアズが呼び止め、彼女が羽織って来た肩掛けの中に、大麦を六杯計ってルツに背負わせ、町へ戻って行った。

国中が同じ主なる神を礼拝するということは、相手のすることを神のお考えを通してみることができるからいいなとおもう。しかし、我々の国はつい先ごろまで誰もが、なんの根拠もなく天皇を神と仰ぐようにと命じられた苦い過去がある。

その二つは全く違う。イスラエルの神は人間ではない力で民を導いていかれる。そのことは、代々語り継がれ民の中に生きている。人間のために御子を献げられたお方である。人間と比較にならない。

日曜日はお近くの教会で礼拝を http://komatsu.church/index2.htmlどなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。

ルツ記 3章5~9節 [旧約聖書 ルツ記 ]

<ルツは答えた。「わたしはあなたのはしためルツです。どうぞあなたの衣の裾を広げて、このはしためを覆ってください。あなたは家を絶やさぬ責任のあるかたです。」(9節)>

「ルツはナオミの指示に従い、極めてきわどい行動に出ます。ルツの心に少しでも邪心があれば、ボアズのルツに対する思いはいっぺんに吹き飛んで、ボアズの心には嫌悪感さえ生じたかもしれません。」と三輪牧師は書き出される。

ナオミはボアズに求婚するようにルツに言いつけた。場所は大麦の打ち場、打ち場は、他の地面より少し高い所にあった。脱穀、聖書に出る表現の「殻と麦をふるい分ける」場所である。脱穀した後に、空中に持ち上げ、殻を風に飛ばした大麦を積み上げていく。その大麦が盗まれないように、ボアズがその傍で寝ることになっていた。

そこに、体を洗って、油を塗り、晴れ着をまとって行きなさいとナオミはルツに言いつけた。そして、「ボアズが休む時その場所を見届け、そばに行き、彼の衣の裾で身を覆って横になりなさい。・・・」と言った。

ルツは「言われる通りにいたします」と言い、麦打ち場に行き、ナオミに命じられた通りにした。「夜半になってボアズは寒気がし、手探りで覆いを捜した。見ると、ひとりの女が足元に寝ていた。『お前は誰だ』とボアズが言うと、ルツは答えた。(8節)」

酔いつぶれて眠ってしまったボアズの驚く様子が面白い。ルツは答えた。「わたしはあなたのはしためルツです。どうぞあなたの衣の裾を広げて、このはしためを覆ってください。あなたは家を絶やさぬ責任のあるかたです。(9節)」

解説書によると、この個所の「衣の裾を広げて、このはしためを覆ってください。」の「覆う」と、2章12節の「主がその御翼のもとに逃れきたあなたに十分に報いてくださいますように」の「御翼のもとに逃れ」は同じヘブル語が使われている。

だから、ボアズがルツに送った祝福の言葉を用いてルツはボアズに対して「あなたを通してその祈りがかなえられますように」と求婚したことになる。のではないかと説いている。

それにしても、ナオミの強引さに圧倒されてしまう。ボアズの財産を見て彼女が判断したのだろうか。彼に妻子がいたのではないだろうかとあれこれ詮索してしまう。

けれどナオミは、主を信じる人であり、異邦人の息子の妻たちにも信仰を通していい姑であったに違いない。彼女はまたよく祈り、祈りの中から主の導きに従って行動を起こしていた。ボアズの財産とか家族とかは、神のご計画の前には何の意味もないと彼女は知っていたのだ。

ボアズと結婚してほんとに幸福になるのだろうか、愛されるのだろうか・・・。なんて考えない。神に従うことが一番の幸福なんだから。

日曜日はお近くの教会で礼拝を http://komatsu.church/index2.htmlどなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。