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テサロニケの信徒への手紙 1 5章1~8節 [新約聖書 テサロニケの信徒への手紙1]

<人々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じです。決してそれから逃れられません。(3節)>

「ヨハネ書は、人々は『光よりも闇の方を愛した(3章)』と伝えていますが、私たちはその闇にあまりにも慣れ親しみ、そこに薄明かりがあるように思ってはいないでしょうか。先に『生きながらえて主の来臨の時まで残る私たち』とありましたが、それは終わりの時を待つ者として、一瞬一瞬を真実に目を向けて歩む者があることが語られていました。」と鈴木牧師は書き出される。

イースターの前の日曜日を除く40日をレント(受難節)と呼ぶ。教会は今日からレントに入る。主イエスが私たちのために十字架の苦しみを負って下さったことを忍んでこの時を過ごす。「40日」は、主イエスが公生涯を前に40日間荒野で断食をして過ごされた日である。

「突然、破滅が襲う」とは、穏やかではない言葉で、先の大津波の甚大な被害が思い起こされる。それがいつなのか、どういう形で来るのか気になるので地震の臨時ニュースなんかが入ると当座はそのたびに、びくびくして家族の安否を確かめた。

それと同時に、「その時、かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを裁き給わん」と予告されている神の国の到来は、「いつ、どういう形でくるのか」と考えてしまう。自分は死ぬことは決まっているがそれが「いつ、どういう形でくるのか」が分からないのと同様だ。

パウロはテサロニケのひとびとに「兄弟たち、その時と時期についてあなたがたに書き記す必要はありません(1節)」と語り「盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身良く知っているからです(2節)」と続ける。

主イエスも「その日、その時は、誰も知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存知である。気を付けて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。(マルコ書13章)」その日をご存知ではないらしい。

K牧師は「それがいつなのかは大して重要なことではないのです。重要なのは『今』なのです。今、どうであるか。今、私たちはどう生きているのか。今、私と神様との関係はどうであるのか。今、自分は目を覚ましているのか。そのことが重要なのです。」と説かれた。

「無事だ。安全だ」としているその足元の地が、神の裁きの地であることを、心を痛めて自覚しなければなりません。眠ることも、酔うこともなく醒めている事、この時の中で主がもたらして下さる恵みに新しく与っていくことが光の子の責任であり祝福ですと鈴木牧師は結ばれる。

私たちは借家人に過ぎない、家主である神様から「出ていくように」と言われたら従うしかない者だ。

日曜日はお近くの教会で礼拝をhttp://komatsu.church/index2.html どなたでもどうぞお越しください。お待ちしています。


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