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ゼカリヤ書 9章1~10節 [旧約聖書 ゼカリヤ書 ]

<娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられる者。高ぶることなく、ろばに乗って来る。雌ろばの子であるろばに乗って。(8節)>

「主の言葉が臨む時、人々の目は主に向けられます。神の声を聞くために、人々が頼りとする富も町も捨てられ、高ぶりは絶たれます。」と阿部牧師は書き出される。

9章の最初「託宣」とある言葉は、ヘブル語の「負う、担う、声を高く上げる」を意味して、様々な国に対する「託宣」は、特に声を大にして叫ばざるを得ないメッセージとなる。9章は、イスラエルを取り巻く町々に対して神の裁きが語られる。

主イエスは地上の生涯において、ご自分がメシアであるとは一言も言われなかった。むしろ、旧約で預言されているメシアの行動によってご自分がメシアであることを示そうとされた。9節の預言は十字架への道を歩まれる「エルサレム入城」で成就された。

「ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。

『ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ』(マタイ書21章)」しかし、当時の弟子たちはこの事が分からなかった。主イエスが栄光を受けられた後に初めてこの出来事がメシア到来の徴であったことを悟った。

メシアはろばに乗って、それもまだ誰も乗ったことのない雌ろばの子の子ろばに乗って入城される。当時は高貴な者、身分の高い者、祭司たちもろばに乗っていた。馬に乗るのは戦士だけであった。民衆は主イエスがこれまで多くの奇跡をもたらした「力あるメシア」として歓迎した。

民衆は大歓声を持って迎えた。彼らは、今の自分たちの状況、異邦人ローマ帝国の属国として屈辱を与えられている今を、断ち切るために主イエスは先陣を切ってローマと戦うお方に違いないと、自分たちの救い主だ、ダビデの再来だと期待を持って迎えた。

「わたしはエフライムから戦車を絶つ。戦いの弓は絶たれ、諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ、大河から地の果てにまで及ぶ。(10節)」

主イエスがメシアとしてこの地上において戦いを止めさせ、義と平和を実現され、全地を支配される。これは多くの預言者たちによって語り継がれてきたダビデ王国の再現であった。しかしそれは、誰も考えもしなかった十字架の死と復活において成就することになる。

「救いの計画と未来、それは神のもとにあります。神は言われます。『それは平和の計画であって災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。(エレミヤ書29章』と」。と阿部牧師は結ばれる。

5月20日(日)はペンテコステ、お近くの教会でhttp://komatsu.church/index2.html礼拝を、どなたでもどうぞ、お待ちしています。


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