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ゼカリヤ書 9章11~17節 [旧約聖書 ゼカリヤ書 ]

<それはなんと美しいことか。なんと輝かしいことか。穀物は若者を、新しいぶどう酒はおとめを栄えさせる。(17節)>

「神は、水のない穴から捕らわれ人を解き放たれます。彼らは神が守る砦へと帰ります。・・・神が民に希望を与え、奮い立たせます。神は民のために戦われます。彼らは神が共におられるしるしである角笛の音を聞きます。主は彼らの盾となって下さいます。」と阿部牧師は書き出される。

戦争に負けた捕虜は「水のない穴」に置き去られ、死と直面するほかなかった。神はそのような捕虜を「水のない穴から解き放つ」と言われる。人生に望みを見いだせず、もう死を待つしかないと思う状況にあっても、望みがあるから「砦に帰れ」と命じられる。

K牧師は「今まで神など何の役に立つものかと思っていたその思いを打ち捨て、わたしを呼び求めよと命じられる。彼らが戻る「砦」とはメシア(救い主)が君臨されるエルサレムのことです。

誰も私の今までの人生を返してくれる人はいません。けれど、神は『わたしは二倍にしてあなたに報いる。(12節)』と言って下さいます。その方は『万軍の主』です。天地万物を支配される王です。いたずらに感情に流されることなく、私たちを『彼らは王冠の宝石のように(16節)』される神が共にいて下さるのです。」と説かれた。

主なる神は徹底的にイスラエルの盾となって下さる。やがて必ず敵を裁き、イスラエルに勝利と祝福をもたらすお方であることが明確に告げられてゆく。

「信仰とは、神の時を待つことだ」は、戦後を生きたOさんの口癖だ。待つことを忘れた時、私たちの奉仕も信仰の業とは言えないと。現実はいかに預言から遠くとも、必ずその預言は成就することを、主の御言葉の約束によって信じることがたいせつだと。

13節に登場する「ヤワン」はギリシャの事。ギリシャのアレクサンドロス大王は、ペルシャ軍を破り(紀元前333年)、エジプトに侵攻し、地中海沿岸諸都市、シリヤの諸都市を陥落していった。しかし、エルサレムに対しては、町も神殿も破壊することなく、ただ通り過ぎただけだった。奇跡としか思えない事実について神が介入されたとも言われている。

今日は、教会コンサートについての話し合いをした。コンサートは人を招き易いのだけれど、伝道集会とか、特別礼拝とかにはなかなか人を誘えない。宗教について私たちの国では警戒される。どうしたら、福音が宣べ伝えられるのか、礼拝に来ていただけるのか。

牧師がおられない教会が増えて来た。お先真っ暗、「求めよ、さらば与えられん」と主イエスが言ってくださっている。必ずかなえて下さることを信じて祈ることが求められている。

5月20日(日)はペンテコステ、お近くの教会でhttp://komatsu.church/index2.html礼拝を、どなたでもどうぞ、お待ちしています。


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