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コリントの信徒への手紙Ⅱ 11章7~11節 [新約聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ]

<マケドニア州から来た兄弟たちが、わたしの必要を満たしてくれたからです。(9節)>

「パウロはコリントⅠ書9章では、使徒が働いて報酬を受ける権利を論じながらも、コリントでその権利を用いず、彼らに経済的な負担をかけなかった理由を述べます。当然持っていた権利を用いないという自由によって、キリストの自己犠牲的な生き様を伝えました。」と石飛牧師は書き出される。

パウロはコリントの人々から報酬を受け取らないで福音を宣教していることについても彼らから非難を受けていた。彼らは「正当な使徒であれば、教会によって支えられるのは当然である。自分で働いて収入を得ているのであれば、それは教会の信頼を得られていないからであり、ただの自作自演ではないか。」と非難した。

そして彼らは、むしろ教会の指導者は積極的に信者からお金を受け取るべきだという、傲慢な考えを持っていた。その態度に対してコリントの人々は反発するどころか影響されてしまっていた。高みから教え諭す彼らの姿に比べ、パウロの地道な奉仕を信者たちはどこかで蔑んでしまっていた。

「あなたがたを高めるために、自分を低くして神の福音を無報酬で告げ知らせたからといって、
わたしは罪を犯したことになるのでしょうか。(7節)」 人の心が高慢になっている時、地道に人々に与え、愛を示している奉仕が不愉快になるのですとK牧師は言われた。

「私は、他の教会からかすめ取るようにしてまでも、あなたがたに奉仕するための生活費を手に入れました。あなたがたのもとで生活に不自由したとき、誰にも負担をかけませんでした。マケドニア州から来た兄弟たちが、私の必要を満たしてくれたからです。そして、私は何事においてもあなたがに負担をかけないようにしてきたし、これからもそうするつもりです。(9.10節)」

パウロは宣教地において天幕造りをして生活費を得ていた。けれども、マケドニアの地方では、兄弟たちがパウロの困窮をみて、何度か彼に献金や献品をした。フィリピ書にその事が記されている。

パウロはコリントの人々からの報酬を受け取らないと決意していた。「受けるより、与える方が幸いである。」という御言葉に従うことが、パウロにとって誇りであった。けれどそのパウロの姿勢をコリントの人々は錯覚した。自分たちはパウロに愛されていないのではないかと。

「なぜだろうか、私があなたがたを愛していないからだろうか。神がご存知です。(11節)」

石飛牧師は「パウロはコリントの信徒たちを愛した故に、彼らの魂を一人でも多く救おうと彼らの信仰に合わせたのです。パウロは清貧に甘んじたのでしょうか。しかし、パウロが自由の意思をもって選んだ道です。

神はそのように働くパウロの必要を満たされ、他の教会から得たものやマケドニア州からきた兄弟たちの援助によって、彼のコリントでの生活が支えられたのです。パウロがこのことをあえて記したのは、偽使徒たちとの違いを示すためでした。」と説かれている。

パウロは断固としてコリントの人々からの報酬を拒んだ。なぜなら、パウロのあらさがしをしている者たちがいるからであった。パウロがコリントの人々から報酬を受けたことによって「彼は金を巻き上げている」と中傷することが出てくることが考えられたからであった。

私たちの教会の牧師の報酬はほんとに少ない。牧師になる人が少ないのはその事と大いに関係があるだろう。

日曜日はお近くの教会でhttp://komatsu.church/index2.html礼拝を、どなたでもどうぞ、お待ちしています。


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